初秋に佐和山城を訪れる

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初秋のこの日、昨年6月に引き続き佐和山城を再訪した。
前回の記事:三成の夢の跡 佐和山城址

佐和山城跡は、西側山麓にある龍潭寺(彦根市古沢町1104)が所有しているが、好意により無料での入山が許可されており、境内に登山口がある。

山道の突き当たりにある、立派な山門。
龍潭寺の山門だ。

四脚門。
「龍潭寺」という名が示すとおり、屋根の上には龍が横たわる姿が施されている。

脇戸の横の城壁を見る。五本線が入っている。
「定規筋」と言う水平線が描かれているこの壁は「筋塀」と呼ばれ、皇室に由来する格式を持つ場所を示すもの。

その奥の壁は土と瓦を交互に積み上げる「練塀(ねりべい)」で瓦を埋め込むことで強くなる、戦いのための壁。
火矢で燃えたり、鉄砲で撃ちぬかれたりすることを防ぐためとも言われる。

各地の城で見かけるが石清水八幡宮の通称「信長塀」は有名だ。
関連記事:都の裏鬼門を守護する王城守護の神 石清水八幡宮

仏殿
方丈から床下の高い渡廊が仏壇に通じている。
庭園との重なりが静寂な領域をつくっている。

松尾芭蕉門下の森川許六(きょりく )の描いたとされるふすま絵が見える。

庭園に据えられた庭石、輪蔵の回転軸受け石か。

佐和山城の陣鐘も晩鐘となり龍潭寺の玄関に吊されていました。

塩硝櫓跡。
武器・弾薬庫でもあったのでしょうか?

発掘調査中、もともと巨大な穴が開いていたようだ。

ここは 塩硝櫓(火薬を保管する場所)ではなく 塩櫓(塩を保管する場所)だったのではという研究結果もあるそうだ。

発掘の成果を期待したい。

塩硝櫓跡を過ぎると地図にあった3つの曲輪のうち真ん中の曲輪は竹林となっていて、整備のため伐られた竹が積上げられていた。

三角点、佐和山の山頂標高232.9mの位置に本丸があったとされる。

本丸跡を大手方面に下ると、岩盤上にわずかに残る石垣を確認することができます。
この石垣は本丸の隅部に位置し、しかも石垣の基底部であったと考えられます。

本丸跡の外周では、このような石垣を7箇所で確認することができ、本丸跡の石垣の想定ラインを復元する上で貴重です。

日本城郭史に詳しい同志社大非常勤講師の中井均さんによると、山城では山を切り開く過程で出た岩石を石垣に使う。

佐和山はチャートと呼ばれる堆積岩の一種でできており、佐和山城跡に2個だけ現存する石垣の石もチャートであることから、佐和山城の石垣はチャートだったとみていいという。

ところが、彦根城の石垣の修理の必要性を把握するため、中井さんが理事長を務めるNPO法人「城郭遺産による街づくり協議会」が市教委の委託で調査したところ、彦根城の石垣でチャートと特定できた石は10個に満たなかった。

残りは琵琶湖東部産の「湖東流紋岩」だった。

善政をして領民からも慕われた三成の象徴を完全に消し去ろうとしていたようです。
一説には山を高さ十四mにわたって削り取ったとも伝えられ、佐和山の山の形が台形状をしているのは、このためだとも云われている。

と、いうか彦根城はこの近さ、残しておいたのでは防御の上から問題がありました。

本丸跡からの眺望は素晴らしい、ちょうど米原駅を出発した新幹線の車両が見えています。

真ん中の白い塔はエレベーターのフジテックの実験塔。

千貫井。
佐和山の南斜面にある、城中の飲料水として用いられた井戸。
お金の千貫目にかえがたい貴重な井戸というので命名された。

千貫井」の傍らに「紫鱗龍王」、ネットで調べたがわからなかった。
御存じの方教えていただけたらと思います。

2007年の築城400年祭のとき「佐和山一夜城プロジェクト」で築造した石造りのミニチュア佐和山城。

三成は関ヶ原の戦いに万が一敗北した場合を考え、佐和山城での再戦を意図していたとされる。

そのあたりを松本清張の著書から引用する。

西軍は、先に岐阜、犬山、竹鼻の線が東軍によって破られたため、すぐに大垣から使いを大阪に出して毛利輝元に出馬を乞うた。

と同時に急使を越前に馳せ、大谷吉継に京極、脇坂らの隊を伴って関ケ原付近に来会するように告げた。
そして、三成自身は大垣城を脱出して、密かに佐和山に帰り、防禦に専念したのである。

これは、東軍が赤坂に集結して急には大垣城に迫らず、垂井、関ケ原付近に放火したのを見て、三成は東軍がすぐにも自分の居城佐和山を襲う計画だと早合点したからである。

こんなところにも、総指揮官としての三成の狭量さが出ている。

天下の兵力を二分した、東西の大会戦が迫っているというのに、何ぞわが城の大事なる。
自分のケチな城などは無視して、全体の作戦に専念すべきだが、どうも三成のやり方はコソコソし過ぎている。

しかも、大阪の毛利輝元のところに出した使者は、途中で東軍のために捕えられ、輝元のもとには達しなかったのである。
それを三成は、最後まで知らなかったのだから、いよいよ万事、立ち遅れている。

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佐和山城址へのアクセス、行き方歩き方

滋賀県彦根市古沢町
お問い合せ 彦根市役所 TEL:0749-22-1411 FAX:0749-22-1398
JR東海道本線線彦根駅~徒歩約10分(登城口)