菜の花の散歩道 鶴乃茶屋散策

丸善&ジュンク堂へ本を探しに行った折り、何か春の到来を感じさせるものはないかと茶屋町の散策に出かけた。

ちゃやまちアプローズの前にはモクレンでしょうか咲いています。
ウインドガラスに映りこんだ花がきれいでした。

桜もほころびかけています。
この分だとあと数日で満開だな。

アプローズの前には菜の花で埋まった一角があります。
そして蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の句碑がありました。
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この通りはどうやら菜の花で埋め尽くされています。

歩道上に“鶴乃茶屋跡”の石碑が建っている。
この辺りは明治中期までの大行楽地。
大坂三郷の人々の憩いの場所となっていた。

豪商松並竹塘が、二羽の鶴を放し飼いにしたのがその名の由来とされている。
茶屋町は明治初年頃までは一面の田園風景で「菜の花や 月は東に 日は西に」と与謝蕪村が詠んだように、一面菜の花畑の風景が広がっていたようです。

もとは西成郡北野村の一部。
大阪市編入から3年後の1900年(明治33年)に実施された大字改編以降、現在に至るまでこの地名で1924年(大正13年)まで北野を冠していた。

地名の由来は、池田街道筋に「鶴乃茶屋」「車乃茶屋」「萩乃茶屋」と呼ばれた茶屋があったことによる。

茶屋町の中央を、旧能勢街道(別名 池田街道)が緩やかなS寺カーブを描き南北に走っています。
江戸時代の大坂では重要な街道の一つで、古典落語「池田の猪買い」にも登場します。

仕掛け人たちを見つけました。
地元の若手住民、店舗経営者、ショップ店長ら有志が集まり、平成21年から菜の花プロジェクトを企画したとパンフレットに書いてあります。

1990年頃から茶屋町の再開発が始まり、まず毎日放送が吹田市の千里丘陵から移転し、梅田ロフトが開業したことを発端とする。

1992年(平成4年)にはちゃやまちアプローズが完成、2005年(平成17年)10月20日にはNU茶屋町が、2010年(平成22年)にはチャスカ茶屋町が、2011年(平成23年)4月29日にはNU茶屋町プラスがオープンしている。

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散策に便利です。

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鶴乃茶屋へのアクセス、行き方歩き方

北区茶屋町8-6
地下鉄御堂筋線「梅田」下車 北約300m