四ツ橋筋 中之島~西梅田

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キャノンギャラリーへ写真展を見に行きそのまま梅田まで撮り歩く。

キヤノンMJ大阪支店が中之島に移転することに伴い、コミュニケーションスペースも新しく「キヤノンプラザ大阪」として移転。

大阪の経済・文化の一大拠点において、地域に根差した写真文化の発展に尽力するとともに、客の意見を今後の企業活動へフィードバックする重要な役割を担います。

中之島フェスティバルシティは、中之島の中央部、四つ橋筋を挟んで向かい合う超高層ツインタワー。

ショップ&レストラン、コンサートホール、美術館、多目的ホール、ホテル、オフィスなどが入居する複合商業施設。

中之島の北側を流れる堂島川と、南側を流れる土佐堀川の間の、四つ橋筋に面した区画を高さ200mの両タワーで占有しており、中之島のランドマークとなっている。

名物ホールの上に超高層オフィスタワー
2012年11月に完成したフェスティバルタワー、2013年4月にフェスティバルホ … 続きを読む →


堂島川に架かる渡辺橋より北を望む。

中之島フェスティバルタワーと中之島フェスティバルタワーウェスト

渡辺橋から堂島川の風景。

アクア堂島NBFタワー西館は、北区堂島浜1丁目、四ツ橋筋の「渡辺橋北詰」交差点東側に建つ大規模オフィスビル。

ビル南面は堂島川に面しており、リバービューの素晴らしい眺望を誇る。

全面ガラス張りのスタイリッシュなビルが3棟並んだ造りで、西側2棟が西館、東側の独立した1棟が東館です。

堂島は、淀川本流であった堂島川の北に形成された中州で、北を西流する分流を曽根崎川(蜆川)という。

地名は薬師堂があったことから「堂島」になったといわれる。

1685年(貞享2年)に河村瑞賢によって堂島川・曽根崎川の改修が開始されると、それに伴って堂島に新地が開発されて、1688年(元禄元年)に堂島新地が誕生した。

江戸幕府は開発後の振興策として茶屋の設営を許可、大坂市街(大坂三郷)の北に位置したため、北の遊里・北の色里などと呼ばれる繁華街になった。

1697年(元禄10年)、江戸時代の代表的な豪商である淀屋の自宅前、淀屋橋南詰の路上で開かれていた米市が堂島(大江橋北詰)に移され、次第に米取引の場「堂島米市場」へと変貌して行った。

1708年(宝永5年)には曽根崎川の北岸に曾根崎新地が誕生し、1730年(享保15年)に堂島米会所が開設される頃には、堂島新地のほとんどの遊里は曾根崎新地へ移転していた。

堂島米会所では世界初の近代的な商品先物取引が行われていた。

全国から堂島に廻送された年貢米は年間100万石とも150万石とも伝えられ、堂島の西半にはそれらを保管する倉庫と屋敷を兼ねた諸藩の蔵屋敷が建ち並び、その数は中之島に次ぐものとなっていった。

1878年(明治11年)に堂島川と大阪駅を結ぶ堂島掘割が開削されて、東西に二分された。

1909年(明治42年)には天満から福島あたりまで燃え広がった北の大火が発生。

大火で生じた瓦礫で曽根崎川の東半(堂島掘割以東)が埋め立てられ、1923年(大正12年)には残る西半も埋め立てられて、曾根崎新地・梅田・福島と地続きになった。

この世の名残、夜も名残 北新地蜆川跡を辿れば
阪神・福島駅~梅田橋跡~浄祐寺~大阪堂島市役所跡~出入橋~桜橋跡碑~堂島薬師堂~ … 続きを読む →


米取引は昭和初期まで行われていたが、戦時統制により1940年(昭和15年)に廃止された。

堂島掘割は1967年(昭和42年)に埋め立てられ、阪神高速11号池田線が通っている。

夕日がビルの壁面を照らしきれいです。

平均的に5車線であるが、両側1車線は有料駐車スペースとなっているため、おおむね走行に使用できるのは中央3車線である。

ホテル・エルセラーン大阪

JR大阪駅から四ツ橋筋を南下したところにある堂島アバンザ
。毎日新聞大阪本社の旧社屋跡地に建てられたオフィスビル。

低層階は関西随一の売り場面積のジュンク堂書店や文具店などが入居し、高層階はオフィスエリア。

地階は飲食店街で、ドージマ地下センターと直結していま。オープン・スペースが広いのが特長で、草木が多く植えられています。

木々もすでに紅葉が始まっている。

「アバンザ」はスペイン語の”avanzar”(前進する)からとったもので、21世紀を力強く歩もうという決意の表れとのこと。地上23階建て、地下2階、 塔屋1階付き。

ビル正面には、かつてここにあった毎日新聞大阪本社の旧社屋玄関の玄関ポーチがモニュメントとして設置されています。

宝寿堂島ビル
竣工年月 1981年6月

さすがにヒルトンはこの位置からも目立つる


マルビルは円筒状の、大阪・梅田のランドマーク

地上30階・地下2階の円筒形の高層ビルで、名称は建物の形状が円筒形であることに由来。

高層ビルの先駆的存在であり、そのユニークな形から梅田のランドマークとなっています。

もうJR大阪駅の屋根が見えている。

桜橋 曽根崎通

大阪市内に住むとき、覚えておいたら便利なのが「筋」と「通」です。

大阪市内は、道路が縦横に規則正しく交差した「碁盤の目状」に配置されています。

そして、

南北に走る道路には「筋(すじ)」
東西に走る道路には「通(とおり)」
という名前が付けられています。

例えば、自分が今いる道路が「○○通」なら、東西方向に進んでいるということです。



ヒルトン大阪

1986年9月、西梅田に竣工した地上34階建ての大阪吉本ビルディングにおいて開業した。

大阪駅前に位置し、ブランドブティック「ヒルトンプラザ大阪」と共に複合型施設エリアを形成している。

館内には、エグゼクティブ&デラックスフロアを含む562室、5つのレストラン&バー、大小20の宴会場、室内プール、ジム、サウナ、屋外テニスコート、ビジネスセンターなどを備えている。

大阪吉本ビルディングは、梅田一帯の大地主であった吉本五郎右衛門が所有する不動産で、ヒルトンプラザ大阪(第二吉本ビルディング)と併せて「吉本グループ」を形成。

至近距離にある大阪マルビルは、分家の末裔である吉本晴彦がかつて保有していた不動産である。
吉本興業とは関係ない。

桜橋交差点(曽根崎通交点)

現在でも桜橋交差点として名称が残っているが、橋自体は交差点よりも50mほど南の四つ橋筋上に位置した。

堂島アバンザの北向かいにある京富ビルの脇に『元 櫻橋 南詰』の石碑があり、ここに橋があったことを偲ばせる。

近松門左衛門の人形浄瑠璃「心中天網島」の道行「道行名残の橋尽し」に

別れを嘆き悲しみて、あとにこがるる桜橋
とうたわれている。

この付近の川堤にあったサクラの古木が倒れて橋の役目をしたことから「桜橋」と名付けられたと言われる。
1909年(明治42年)に発生した北の大火(天満焼け)で生じた瓦礫の埋め立て処理によって曽根崎川とともに姿を消した。

同じ北行きの一方通行である堺筋と並び渋滞の多い道路である。主に肥後橋交差点(土佐堀通交点)や桜橋交差点(曽根崎通交点)を先頭にした渋滞がよく発生する。


もうすでに陽は暮れかかっている。、光線の具合によってはかなり暗い。

ルクアの北側、夕日をまともに受けている、紅葉がきれいです。

ルクア (LUCUA) は、大阪駅北側のノースゲートビルディングにあるファッションビルで。

店舗面積は2万m2で、開業時点でセレクトショップや飲食店などのテナントが198店出店する。

そのうち24店が日本初、40店が関西初、54店が梅田初のブランド。

20代から30代の女性がメインターゲットであるが、カップルの買い物客を想定して4,300m2を男女共用ブランド店に割り当てたのが特徴。

大階段下、若者の離合集散の多い場所。

うめきた広場 メインスペースJR大阪駅直結

大阪駅の中央北口正面に、さまざまな人々が集い、憩い、楽しむ約1700㎡の広大な広場。

大阪を象徴するシンボル空間として、多彩なイベントに対応、常に若者が集う。

うめきたの工事はかなり長期にわたり、巨大クレーンはこの地区のシンボルと化した感がある。

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