建仁寺


開山堂は建仁寺開山・栄西禅師の入定塔(墓所)。

客殿(方丈)・経蔵・開山塔・楼門(宝陀門・宝陀閣)があります。

また苔むした庭には栄西禅師お手植えの菩提樹があります。

明治時代中期に再建されたとも言われています。

三門は八脚門です。

望闕楼(ぼうけつろう)とも言われています。

望闕楼とは御所を望む楼閣を意味します。

江戸時代末期に静岡・安寧寺(あんねいじ)に建立され、1923年(大正12年)に移されました。
なお三門は本瓦葺です。

勅使門は平清盛(たいらのきよもり)の嫡男・平重盛(たいらのしげもり)の六波羅(ろくはら)邸の門を移したとも、平教盛(たいらののりもり)の館の門を室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に移したとも言われています。

鎌倉時代後期(1275年~1332年)に建立されました。
なお勅使門は銅板葺です。

戦乱の矢の痕があり、矢の根門(やのねもん)・矢立門 (やたちもん) とも言われています。

建仁寺織田信長供養塔は庭園・大雄苑に建立されている七重石塔。

織田信長供養塔はかつて1582年(天正10年)に織田信長の弟・織田有楽斎が兄・織田信長追善の為に建立した十三重石塔だったと言われています。

江戸時代に開山塔の南の溝の底に隠されていたとも言われているが、1898年(明治31年)に現在の場所に移されたとも言われています。

3つの石を2つと1つに分けた石の配置、その廻りの白砂が作り出す「間」

大雄苑は1940年(昭和15年)に植熊(うえくま)三代目・加藤熊吉(かとうくまきち)が作庭した枯山水式庭園。

大雄苑は中国江西省奉新県の百丈山(ひゃくじょうざん)の眺めを模し、百丈山の別名・大雄山から大雄苑と名付けられました。

ちなみに百丈山は奈良時代後期に当たる784年(興元元年)に百丈懐海(ひゃくじょうえかい)が入山し、百丈寺(郷導庵)を創建し、黄檗希運(おうばくきうん)らが参禅すると最初の独立の禅宗寺院になりました。

こちらは、方丈から南方向に広がる庭、「大雄苑」を見たところ。

正面の唐門の向こうに聳えるのが、天井画「双龍図」が描かれている建物、「法堂」。

枯山水様式の「大雄苑」(だいおうえん)は、昭和15年(1940年)に、昭和の天才作庭家「植熊」 の三代目・加藤熊吉により作庭されたもので、中国の百丈山の眺めを模して造られたと言われています。

潮音庭は四面正面の枯山水式庭園。

潮音庭には法堂の三尊仏に見立てた三尊石があります。

三尊石の東側には座禅石を据えている。

座禅石の周辺に尾は小石を散らしているあたりに非凡な美的意識を感じる。

○△ロ乃庭は2006年(平成18年)に作庭されました。

○△ロ乃庭は臨済宗古月派の禅僧で、画家・仙がい義梵(せんがいぎぼん)の「○△ロ」の掛軸から名付けられました。

単純な三つの図形は宇宙の根源的形態を示し、禅宗の四大思想(地水火風)を、地(□)水(○)火(△)で象徴したものとも言われる。

方丈の北側に配置された「納骨堂」。

直線的な模様の白川砂の庭を横切るように、踏み石を雁行させながら配置しています。

方丈の「竹林の七賢図」は16世紀の画家・海北友松筆の筆によるもの。

一番右の人物は、巻物を見ながら語り合っている2名と少し離れて、ちょっといじけた様子・・・

近世初期の建仁寺復興にからんで海北友松が制作した日本を代表する水墨画群、重要文化財「建仁寺丈障壁画」五十面のうち礼の間を飾る八面の襖絵。

建仁寺方丈に招かれた客が最初に通される礼の間に於いて、北面には咆哮とともに雲間から出現する龍が、西面には待ち構えるように睨みをきかす龍が、それぞれに雲を従えながら圧倒的な迫力をもって描かれている。

近世以来武門・禅門に特に好まれた龍を画題として、力量の試される大画面に余すことなく描きあげた本作品は、海北友松の得意とする水墨の龍の中でも随一の作品と言える。

過去の建仁寺訪問記。

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寺号は「けんにんじ」と読むが、地元では「けんねんさん」の名で親しまれている。

なお、しばしば日本最初の禅寺と言われるが、これは間違いで博多の聖福寺が最初の禅寺である。

法堂の天井いっぱいに阿吽の口をした2匹の龍が描かれる。

阿形の龍は手に玉をつかむ。仏法守護として、また水の神として仏法の教えの雨(法雨)を降らせるたとえから、禅宗の法堂に描かれることが多い。

建仁寺法堂は古くより龍は描かれず素木(しらき)とされてきたが、1年10ヶ月の歳月を経て、建仁寺創建800年を記念して平成14年(2002)4月に小泉淳作画伯の筆により完成したものである。

風神雷神図は見逃せない国宝です。

風神雷神図は珍しい二曲一双屏風(にきょくいっそうびょうぶ)で、左に雷神・右に風神がダイナミックに描かれています。

風神雷神図は元々豪商・打它公軌(うだきんのり)が妙光寺(みょうこうじ)の再興を記念し、絵師・俵屋宗達(たわらやそうたつ)に製作を依頼したものです。

風神雷神図は江戸時代前期の1639年(寛永16年)頃に妙光寺に奉納されたが、その後妙光寺から寄贈されました。

なお風神雷神図は現在京都国立博物館に寄託され、見られるのは複製の屏風と陶板です。風神雷神図は里帰りすると雷鳴が響くとも言われています。

風神雷神図は俵屋宗達の真筆とされているが、俵屋宗達の印章(いんしょう)・落款(らっかん)はどこにもないそうです。

『対馬行列興』

臨済宗大本山 建仁寺 長崎県対馬「以酊庵」とのつながり

朝鮮通信、対馬藩宗家が起こした国書偽造の柳川一件以来対馬の外交(文書)は、漢籍にあかるい京都五山とその子院の高僧が輪番で担うようになる。

その高僧を対馬の以酊庵までお連れしたのがこの輿。

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