唐招提寺


鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。1998年(平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

天平の遺風を現在に伝えるこの寺は、伽藍、規模ともに創建時の姿を残している。

金堂

国宝。奈良時代(8世紀後半)建立の寺院金堂としては現存唯一のものである(奈良・新薬師寺の本堂は奈良時代の建築だが、当初から本堂として建てられたものではない)。

鑑真2回目の渡航計画(同年)では、船は揚子江を下ったものの強風で難破する。

第3・4回目の渡航計画(744年)は密告によって頓挫し、船を出すこともかなわなかった。

748年、5回目の渡航計画では嵐に遭って船が漂流し、中国最南端の海南島まで流されてしまった。

陸路揚州へ戻る途中、それまで行動を共にしてきた栄叡が病死し、高弟の祥彦(しょうげん)も死去、鑑真自らは失明するという苦難を味わった。

753年、6回目の渡航計画でようやく来日に成功するが、鑑真は当時既に66歳になっていた。

遣唐使船に同乗し、琉球を経て天平勝宝5年(753年)12月、薩摩国に上陸した鑑真は、翌天平勝宝6年(754年)2月、ようやく難波津(大阪)に上陸した。

同年4月、東大寺大仏殿前で、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇らに菩薩戒を授け、沙弥、僧に具足戒を授けた。鑑真は天平勝宝7年(755年)から東大寺唐禅院に住した後、天平宝字3年(759年)、前述のように、今の唐招提寺の地を与えられた。

大僧都に任じられ、後に大和上の尊称を贈られた鑑真は、天平宝字7年(763年)5月、波乱の生涯を日本で閉じた。
数え年76であった。

鑑真の生涯や唐招提寺は井上靖の小説『天平の甍』(1957年)で広く知られるようになった。

鑑真和上の業績と名声を通じ、1978年(昭和53年)の日中平和友好条約の成立にも寄与し、高い評価を受けている。

金堂近くから「礼堂」「宝蔵・経蔵」周辺に伸びる小道を北に進み、「御影堂」のある道沿いに出て、東側のうっそうとした森に入っていくと、大変趣のある土塀や杉木立、苔むした地面が広がる空間が現れ、そこに伸びる道を更に北に進むと八角形の壁で囲まれ、中心には立派な宝篋印塔の建てられた鑑真和上のお墓(開山御廟・鑑真和上御廟)が現れます。

また墓所への参道沿いの杉木立の生える地面には、秋篠寺を彷彿とさせるほど立派な「苔」が見られ、木漏れ日が苔に差し込む風景は、美しい「庭園」にいるかのような風情を感じさせてくれるなど、「自然豊か」な御廟となっています。

鑑真和上御廟

同時期の高僧の中では唯一、1250年の永きに亘って、参拝する人が途絶えません。現在は御廟前に和上の故郷・揚州から贈られた瓊花が植えられ、初夏にその可憐な花を咲かせます。

鑑真和上の故郷である、江蘇省揚州市の名花で、ガクアジサイに似た白い可憐な花を咲かせる「瓊花(けいか)」の見頃に合わせ、御影堂供華園が特別開園されます。

現在、花を咲かせている瓊花は、鑑真和上遷化1200年の昭和38年(1963)に記念事業の一環として、中国仏教協会から贈られた一株の子です。

日 時:毎年4月中旬~5月上旬 9時~16時
※花の状態によって、期

鑑真和上ゆかりの名花 瓊花(けいか)と緑滴る唐招提寺
鑑真和上の御廟のそばと、御影堂供華園(くげえん)では、和上の故郷、中国揚州から送 … 続きを読む →


平城京の薬師寺にある東塔および本尊薬師三尊像が飛鳥の本薬師寺から移されたものか、平城京で新たにつくられたものかについては明治時代以来論争がある。

21世紀の現在、東塔は平城京での新築とするのがほぼ通説となっているが、論争は完全に決着したわけではない。

11世紀成立の『薬師寺縁起』に引用される奈良時代の流記資財帳に「薬師寺には塔が4基あり、うち2基は本寺にある」という趣旨の記載があり、ある時期までは平城と飛鳥の両薬師寺にそれぞれ2基の塔があったと解釈されることから、足立康、町田甲一らはこれを非移建説の根拠の1つとしている。

現存する東塔に、他所から解体移築した痕跡の見られないことからも、東塔については『扶桑略記』の記述どおり、平城移転後の天平2年(730年)新築と見る説が通説となっている。

ただし、平城薬師寺の境内からは本薬師寺から出土するのと同様の古い様式の瓦も出土しており、西塔は飛鳥からの移築だったとする説もある。

発掘調査の結果、平城薬師寺の廻廊は当初単廊(柱が2列)として計画されたものが、途中で複廊(柱が3列、通路が2列)に設計変更されたことが判明している。

このことから、当初は本薬師寺の建物を一部移築しようとしていたものを、途中で計画変更したのではないかとする説もある。

金堂本尊薬師三尊像については、既述の「持統天皇2年(688年)、薬師寺にて無遮大会(かぎりなきおがみ)が行われた」との記述(『書紀』)を重視し、この年までには造立されて、後に平城薬師寺に移されたとする説がある一方、主に様式や鋳造技法の面から平城移転後の新造とする説もあり、決着はついていない。

薬師寺のハス
唐招提寺に続いて薬師寺、今日はハスデーです。 『日本書紀』天武天皇9年680年 … 続きを読む →

この日偶然眞子さまにお会いした。
婚約を発表されたばかりで幸せそうであった。

その後あのような騒動になろうとは想像だにしなかった、お幸せになってほしいと願っている。

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