小町伝説の残る 退耕庵

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退耕庵は、京都市東山区にある臨済宗東福寺派の大本山・東福寺の塔頭。

本尊は千手観音。小野小町ゆかりの寺として知られる。

慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いの際には、東福寺に長州藩の陣が置かれていたことから、当庵はその戦いの殉難者の菩提所となっている。

応仁の乱による戦火で荒廃したが、1599年(慶長4年)、安国寺恵瓊(第十一世)によって再興されている。

豊臣秀吉亡き後、客殿の茶室では、恵瓊、石田三成、宇喜多秀家らが関ヶ原の戦いの謀議を行ったという。

関ヶ原の戦では西軍敗北に伴い六条河原で斬首になる。

地蔵堂に安置する高さ約2メートルの地蔵菩薩像は、胎内に小野小町に寄せられた多数の艶書を収めていたことから「玉章(たまずさ)地蔵」の名で知られている。

町堂の前には、小野小町百歳井戸という井戸もあります。

この井戸の水面に年老いた自分の顔を映したのでしょうか。

謎の女小町は各地にゆかりの地と称するものがある。

ライバルを救った小町の慈悲心「草子洗小町」
小町零落説の背景には、あまたの貴公子を虜にした小町に対しての男性諸氏のひがみ根性 … 続きを読む →

はねず踊り 小野小町ゆかりの 隨心院
ちょうどはねず(うすべに色)の梅が咲くころ、小野小町を偲ぶ土地の童唄と踊りが、隨 … 続きを読む →

美醜の魔界を詠んだ謎の女流歌人小野小町
隨心院が所在する小野は小野氏の一族が栄えたところである。 宮中で仁明天皇に仕え歌 … 続きを読む →

深草少将の百夜通いの話はあまりにも有名です。
関寺の牛塔
長安寺の前の名称は関寺。 関寺は、創建年代は不明であるが、逢坂の関の近くにあった … 続きを読む →

埋もれ百体地蔵の奥には、小野小町の供養塔がある。
謡曲の「関寺小町」が晩年の小野小町を歌っている縁で、置かれたのだろう。

小野神社 小野氏発祥の地
滋賀を訪れた折、全国の小野一族の祖を祀るといわれる小野神社を訪れた。 関連記事: … 続きを読む →

境内の一隅に康永4年(1345)の石像宝塔が建つ。
小野小町の供養塔と伝えられている。
小野小町は小野篁の孫にあたる。
六道珍皇寺 冥途通いの井戸
京都における平家の最初の拠点。 清盛の祖父が寺領を借り受け、邸宅を建てたといわれ … 続きを読む →

篁と式部、この二人の墓所は堀川北大路交差点から南へ少し下がって島津製作所の傍らにあります。
京都の紫野(むらさきの)と呼ばれる場所です。

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