紅葉期の高取城
大和高取城は奈良県の紅葉の名所。 11月には本丸や二の丸を中心に真っ赤に燃える様 … 続きを読む →
紅葉はモノクロに適さないし、華やかな紅葉はカラーで表現したいのでそうしたのであるが、城址そのものは古い戦乱の歴史を残している。
兵どもの戦いの跡はむしろモノクロで表現したい。
戦国期の高取城の歴史は下記の通りだ。
越智氏の支配が長く続き、戦国時代には高取城が越智氏の本城となっていたようである。
天文元年(1532年)6月の飯盛城の戦いで圧勝した証如軍(一向一揆衆)は大和国に侵攻してきた。
対立関係にあった興福寺の僧兵たちは越智氏のいる高取城に庇護を求めてきた。
証如軍は高取城を包囲し、激戦となったようだが、筒井軍に背後を襲われた証如軍は敗走した(天文の錯乱)。
その後、織田信長によって大和国内の城は郡山城一城と定められ、高取城は天正8年(1580年)に一旦は廃城となった。
天正11年(1583年)8月に筒井順慶の配下となっていた越智玄蕃頭頼秀が殺害され(自害とも)、越智氏は滅亡した。
筒井順慶は、信長が本能寺の変で横死した後、天正12年(1584年)に支城網の一つとして本格的城塞へと改めた。
天正13年(1585年)、筒井氏は伊賀国上野に転封となり、豊臣秀長(豊臣秀吉の異父弟)が郡山城に入城し、大和国は秀長の配下となった。
高取城には当初、秀長の重臣脇坂安治が入ったが、後に同じく重臣の本多利久に与えられた。
天正17年(1589年)、利久は家臣諸木大膳に命じ、新しい縄張りをもって築造した。
本丸には、多聞櫓で連結された3重の大小天守、二の丸には大名屋敷が造営され、城内には三重櫓が17基建ち並んだ。
また、郭内には侍屋敷も整備され、他には類を見ない広壮な山城が出現した。
家臣団は、山麓の高取市街に城下町を営んだ。
利久は、天正19年(1591年)に没した秀長の後嗣となった秀保に仕えた。
文禄4年(1595年)、秀保が17歳で没した後、利久の子俊政は秀吉の直臣となり1万5千石が与えられた。
秀吉没後の混乱期に、俊政は徳川家康についた。
慶長5年(1600年)、家康の上杉景勝討伐の際に、俊政は討伐軍に加わり不在であった。
この隙に乗じ、石田三成は兵を派遣し高取城を攻めたが、俊政の従弟・正広はこの要害のおかげで西軍を敗退させた。
俊政は関ヶ原の戦いの後、東軍に付いた功を認められ、1万石の加増を受け高取藩2万5千石の初代藩主となった。
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