四天王寺 本坊庭園にある八角亭

大阪府

四天王寺本坊庭園、別名:極楽浄土の庭には明治3 6 年(1 9 0 3 )大阪で開催された博覧会、第5回内国勧業博覧会の小奏楽堂として建築されたライトブルーの小さな洋風東屋が建っています。

博覧会の建物はこの「八角亭」を除いて一切残っていません。

長らく特定日のみの公開であったが、平成15年(2003年)8月より通年の公開が行われるようになった。

庭園入口にあるのが国重要文化財「五智光院」、文治3年(1187)後白河法皇により建立されたもので、現在のお堂は元和9年(1623)徳川秀忠により再建されたものです。

再建当時は西大門の南側にあったものが、明治34年現在地に移されました。

創建当初より後白河法皇の灌頂堂(頭頂に濯ぎ、仏の知恵をいただき仏と血縁するための儀式)として建てられましたので、現在でも信徒・四天王寺学園学生達の灌頂を行う道場になっているようです。

ここから先が「極楽浄土の庭」。

湯屋方丈・・・重要文化財

五智光院と同じく元和9年(1613)徳川秀忠により再建されました。

徳川家康の参謀として暗躍した、天海大僧正(慈眼大師)が四天王寺執務の際、在住したのがこの方丈で、湯屋とはお風呂のことです。

再建当初は六時堂の裏にありましたが、明治33年改修の際現在の場所に移されました。

入口を入ると、衆生の貪り(むさぼり)や執着を表す「水の河」と、瞋り(いかり)や憎しみを表す「火の河」があり、その間に衆生の善心と信仰心を表す「白道」が続き、蓮池「極楽の池」に行き着きます。

「極楽浄土の庭」には自然の湧き水を利用した2つの小川と2つの池、それに2つの滝があります。

写真は釈迦の滝。

極楽浄土の庭は「二河白道(にがびゃくどう)」の説話の世界観をあらわしており、2つの水路、火の河(怒り)と水の河(貪り)の間には極楽(極楽の池)へと続く細い白道が。

この極楽浄土の庭の着工は江戸時代初頭とされ、現在の庭は明治時代初期に火災による焼失から昭和初期に復興されたもの。

その際二河白道の説話に基づいた作庭がされました。

参詣者は説話の通り、二河に落ちないように参道の白道を進み、極楽の池を目指すと、池に鎮座する阿弥陀三尊石の出迎えを受けることになります。

荒陵稲荷大明神

かつては同様の社が数か所にお祀りされていましたが、廃仏毀釈や空襲により焼失し、唯一残存する社だそうです。

四天王寺の北東、鬼門を鎮守されています。

極楽の池内には灯籠や阿弥陀三尊石も。

経営の神様とも呼ばれた松下幸之助によって寄進された「和松庵」が見えます。
和松庵では極楽の池などを眺めながら、お抹茶(お菓子付き400円)をいただくことができます。

遠景にはハルカスも見えます。

今から100年前の明治36(1903)年に、通天閣付近で第5回内国勧業博覧会が開催された。

その時に出品されたのが、このルネッサンス風の八角洋風木造建築である。

後に四天王寺・本坊庭園に移設されたこの建物の特徴は、軒のバージ・ボードと呼ばれる装飾と、窓の色ガラスにある。

3色の色ガラスをはめた窓が魅力的です。

ドアは施錠してあり中には入れません、レンズをガラスに押し当てて撮影。

屋根の和瓦とモールディングの廻り縁のアンサンブルが不思議とマッチしていて独特の雰囲気を醸し出しています。

ところで、第五回内国勧業博覧会は大阪の天王寺会場をメインに開催されましたが、日本国内だけでなく、海外諸国の出展品も並んだ、日本で初めての万国博覧会だったわけで、この会場跡地再開発でできたのが新世界なんですね…。
 
八角亭は小奏楽堂だったらしいのですが、どんなふうに演奏が行われたのかはちょっとわかりません・・・

内国勧業博覧会、第一回は上野だったようですね。

第五回は、天王寺と堺会場もあり、盛大に開催されましたが、これが最後となりました。

天王寺会場は、「天王寺公園」となり、その後「新世界」が誕生し、通天閣、ルナパークができました。

堺会場は大浜公園となっています。

この庭園は明治初期のもので二河白道のたとえ話を基に造園されました。

庭を歩くだけで仏教の教えと極楽浄土に至る道を体験できるようになっているので、四天王寺訪問の際には是非とも訪れてください。

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