阿弥陀池から土佐藩邸周辺散策

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鰹座橋交差点

鰹座橋は元和8年(1622)の長堀川開削から明暦元年(1655)までの間に架設されたと考えられる。

鰹節を売買する鰹座があったことが橋名の由来で、また土佐殿橋とも呼ばれた。

江戸時代は鰹座橋と玉造橋の間に土佐藩大坂蔵屋敷があり、土佐廻船によって鰹節を始めとする海産物、材木などが大量に陸揚げされ、盛況を極めた。

玉造橋交差点

かつてあった玉造橋が交差点名の由来。

玉造の名は17世紀半ば、大坂城・玉造口の与力・同心が増員のため、ここに移転させられたことによる。

伯楽橋

明治41年(1908)、市電東西線開通に合わせて架橋。

西詰めに開かれた松島遊郭の圧力で 、昭 和15 年(1940)まで、市電専用橋で歩行者は通れませんでした。

伯楽というのは『荘子』に登場する中国・周代にいた馬の良し悪しを見分ける名人のことで、そこから牛馬の売買・仲介者、病気などを治す医者のことなどを指す言葉になりました(伯楽の音変化で博労、馬喰ともいう)。

土佐稲荷神社(三菱発祥の地 岩崎家旧邸跡)

かつては土佐藩蔵屋敷があり、米穀、材木、鰹節、和紙、砂糖など土佐の特産物が扱われた。

明治2年(1869)、岩崎彌太郎が土佐藩のお手先商法である「開成館貨殖局大阪出張所」の幹事心得となり、大阪事務所を指揮して汽船・武器の輸入に活躍。

翌年、廃藩置県が行われるとの情報で後藤象二郎、板垣退助らと協議して長堀川北岸に事務所を置き、藩から独立した九十九商会を設立、土佐藩の負債を肩代わりする条件で船3隻を入手して海運業を始めた。

廃藩置県後、一旦、三川商会となり、明治6年(1873)3月、三菱商会と改称。

これが三井、住友と並ぶ日本三大財閥のひとつ、三菱財閥の起こりです。

土佐稲荷神社は三菱発祥の地で、彌太郎は、土佐藩主・山内家の三ツ柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせて社章(スリーダイヤ)を作りましたが、土佐稲荷神社の神紋の中にもスリーダイヤが入っています。

岩崎彌太郎邸宅跡の碑があり、神社を囲む玉垣なども三菱系列の会社が寄進しています。

また第12代横綱・陣幕久五郎が寄進した狛狐が現存しています。

木村蒹葭堂邸跡碑

蒹葭とは葦のことであり、「蒹葭堂」とはもともとは彼の書斎のことである。

庭に井戸を掘ったときに葦が出て来たことを愛でてそのように名付けたもので、後にこの書斎の名をもって彼を呼ぶようになった。

蒹葭堂は生まれつき病弱で手がかかる子どもであったので父より草木を植えて心を癒すことを許され、やがて植物や物産への興味に繋がっていく。

近年「浪速の知の巨人」と称され評価が高いが、事実・本草学・文学・物産学に通じ、黄檗禅に精通し、出版に携わり、オランダ語を得意とし、ラテン語を解し、書画・煎茶・篆刻を嗜むなど極めて博学多才の人であった。

また書画・骨董・書籍・地図・鉱物標本・動植物標本・器物などの大コレクターとしても当時から有名であり、その知識や収蔵品を求めて諸国から様々な文化人が彼の元に訪れた。

寛政2年(1790年)55歳のとき、密告により酒造統制に違反(醸造石高の超過)とされてしまう。

酒造の実務を任されていた支配人 宮崎屋の過失もしくは冤罪であるか判然としないが、寛政の改革の中で大坂商人の勢力を抑えようとする幕府側の弾圧事件とみるべきだろう。

蒹葭堂は直接の罪は免れたが監督不行き届きであるとされ町年寄役を罷免されるという屈辱的な罰を受ける。

彼の死後、膨大な蔵書は幕命により大部分は昌平坂学問所に納められたが、帝室博物館書目に昌平坂学問所の蔵書印が押された蒹葭堂蔵書の一部が確認できるため、いくつかの過程を経て一部散逸してしまったことははっきりしている。

昌平坂学問所に納められた大部分は、現在内閣文庫に引き継がれている

奇抜なウォールアート発見。

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和光寺(阿弥陀池)

阿弥陀池は古代からあって、霊水が湧く有難い池で、廃仏派の物部氏によって池に投げ捨てられた阿弥陀如来が、推古天皇10年(602)に信濃の住人・本田善光に拾われて善光寺まで運ばれたという言い伝えがあります。

善光寺に紅葉を訪ねる
善光寺の御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた … 続きを読む →

皇極天皇三年(644年)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられたという。


元禄11年(1698)、堀江川が開削され、堀江新地の区画整理が始まると、翌年、長野・善光寺から智善上人を迎えて、阿弥陀池のほとりに和光寺を建て、善光寺本堂に安置されていた阿弥陀仏を本尊としてお祀りした。

境内及び周辺には講釈の寄席、浄瑠璃の席、軽業の見世物などが並び、2月の涅槃会や、4月の仏生会の植木市は、こと賑やかあったといいます。

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