祭神
主祭神 – 五十猛命 (いたけるのみこと)、別名:大屋毘古神。
左脇殿 – 大屋都比賣命 (おおやつひめのみこと。五十猛命の妹神)。
右脇殿 – 都麻津比賣命 (つまつひめのみこと。五十猛命の妹神)。
上の3柱はいずれもスサノオの子であり、木の神として信仰される神である。
二の鳥居もがっしりとした木造り。
日本書紀によると、高天原を追われた素戔嗚尊とその子五十猛神は、共に新羅に降り立つがその地を気に入ることはなく、船で出雲国に移動した。
そして素戔嗚尊は高天原から持ってきていた木の種を五十猛神に渡して日本中にその種を蒔くように命じた。
五十猛神は妹である大屋津姫命・都麻津姫命と共に九州から順番に日本中に種を蒔き始めて国中を青山にし、最後に木の国(紀伊国)に降り立った。
このことから五十猛神は有功神(いさおしのかみ=大変に功績のあった神様)とも呼ばれ、紀伊国に祀られることとなった。
伊太祁曽神社の拝殿は、割拝殿となっています。
割拝殿とは、建物の中央に土間があり、通り抜け可能な拝殿のことです。
昭和37年の落雷で燃え、枯れてしまいましたが、現在も3mほどの高さが残っています。
その後、古幹は割拝殿に保存され、大国主命(おおくにぬしのみこと)を助けた神話にちなみ、「木の俣くぐり」となっています
石垣には地元産の緑泥片岩(りょくでいへんがん:通称・青石)が使われています。
御鎮座の時期については明らかでないが、『続日本紀』の文武天皇大宝2年(702年)の記事が初見になる。
古くは現在の日前宮(日前神宮・國懸神宮)の地に祀られていたが、垂仁天皇16年に日前神・国懸神が同所で祀られることになったので、その地を明け渡したと社伝に伝える。
その際、現在地の近くの「亥の杜」に遷座し、和銅6年(713年)に現在地に遷座したと伝えられる。
本居宣長の歌碑。
氣生社
日前宮(にちぜんぐう)と竈山神社(かまやまじんじゃ)と当神社を詣でることを「三社参り」と言い、貴志川線はこの三社の参拝者を運ぶことが目的の一つであった。
貴志川線の開業当初の終点は伊太祁曽駅(当時は山東駅)であった。
御井社には水の神様、彌都波能売神(みずはのめのかみ)・御井神(みいのかみ)をお祀りしています。
ご神水をいただける井戸があり、病気の人には元気を取り戻す霊力があると伝えられています。
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