吉城園を後にして二月堂へ向かう。
この辺りは巨木の古びた切り株が多い、歴史を感じさせる語り部だ
ノムラモミジの赤が青空に映える。
大仏池、いつもなら多くの鹿がたむろしているのだが今年はやはりおかしい。
木立越しに大仏殿の鴟尾を望む。
二月堂の裏参道を下ってくると大仏殿に面した北池に至る。
司馬遼太郎もお気に入りという二月堂裏参道
写真のように、古瓦を挟んだ質素な土塀というのが何とも風情があります。
あの司馬遼太郎氏もこの界隈を愛し、紀行文を残しています。
今日は二月堂北の無料休憩所でお弁当にした。
お水取りの松明を描いた絵が飾られていた。
東大寺修二会(お水取り)上堂の松明を見る
修二会のシンボルのような行事、二月堂の舞台で火のついた松明を振り回す「お松明」。 … 続きを読む →
春先取り 火と水が織りなす荘厳の世界 お水送り
天平勝宝 4年(752)インドの渡来僧・実忠が二月堂の建立の時、修二会を催して全 … 続きを読む →
遠敷川に松明の火を映して、三千人ほどの長い行列が続く、荘厳な雰囲気。
二月堂の舞台からの眺望、生駒が小さく見えます。
絶景かな東大寺二月堂から望む悠久の夜景
二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火に … 続きを読む →
遠くで雨が降っているような感じです。
すこしズームしてみます、見事に雲から水の柱が落ちているような風景です。
大きな香炉を…餓鬼達が、下で 必死に 支えております。
東大寺の鎮守手向山八幡宮~奈良
手向山(たむけやま)八幡宮は東大寺八幡宮ともいい、奈良時代聖武天皇が大仏の造営を … 続きを読む →
創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立した。
かつての東照宮が納められている空間である「神楽所」の建物本体は、神門などの周辺の建物と比較するとひときわ古めかしい風情を漂わせており、半ば「手つかず」の雰囲気とも言えるような状況になっています。
夕方になると薄暗くなった空間にわずかな西日が差し込む風景が驚くほど美しく感じられ、数百年前の空間に降り立ったような気分にさせてくれます。
春日大社の砂ずりの藤の参道、幾多の善男善女が行きかい、通路も古色を帯びる。
奈良公園の夕焼け
冬の空、鉛色の雲がかかる。 荒池からの興福寺五重塔。 落ちようとする陽と鉛色の空 … 続きを読む →
飛火野の夕焼けの始まり、皆それぞれに夕景を楽しむ。
ならまちでコーヒータイム、明り取りの天窓から差し込む光がきれいだった。
興福寺五重塔のよき撮影ポイント – 猿沢池。
興福寺の西にあまり知られていない三重塔がある。
しかし、その知名度の低さというのは、裏返せば三重塔が貴重な「穴場スポット」であるということにもつながります。
奈良時代に建立された興福寺の多くのお堂が完全に焼け落ちてしまった治承4年(1180年)の平重衡による「南都焼討」の被害を受けた後、この三重塔は迅速に再建され、その後は災害や戦災、また廃仏毀釈のうねりなどを乗り越え、現在までほぼ再建時の姿のままで残される貴重な存在となっています。
その他のお堂が再建が遅れたり、また再度荒廃したりして失われることも多かった中で、この三重塔の存在が、現在の興福寺の建築物の中では「北円堂」と並ぶ最古の建築物となっているのです。
興福寺 五重塔夕景
鶴福院町から望む五重塔は「ならまち八景」のひとつ。 既に陽は西へ傾いている、パン … 続きを読む →
三重塔、こちらも国宝なのだが見逃されがちではないだろうか、南円堂から見ているときは空も真っ赤だったが遅かりし。
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