琵琶湖の北東岸を北上し、余呉湖の北の柳ヶ瀬、県境の栃ノ木峠をへて北ノ圧に通じる北国街道は、かつて北陸と京阪神を結ぶ重要な街道でした。
多くの商人、旅人、武将らが頻繁に利用、長浜はその宿駅として、また湖上交通の要として栄えた町です。
北国街道を北へ進みます。
日本庭園の古翆園や北大路魯山人が手がけた小蘭亭がある北国街道安藤家(左)前。
安藤家は、室町時代からこの長浜に移り住んだ旧家で、賤ヶ岳合戦(1583年)では秀吉に協力した。
秀吉は町衆の中から長浜の自治を委ねる「十人衆」を選び、安藤家はそ の十人衆として町衆文化の一翼を担い、江戸期には十人衆の中から選ばれる三年寄の一家として、長浜町の発展に力を尽くし活躍しました。
北前船のカワモト(右)。
30まである黒壁○號館以外も歴史的な町並みに景観整備されているようです。
西側のアーケード入口には長浜曳山祭りの歌舞伎連獅子をテーマにした華麗な彫刻があります。
右は黒壁スクエアの中心的存在・黒壁ガラス館(黒壁1號館)。
黒壁ガラス館では世界のガラス作品約3万点を展示販売。
明治33年建築の国立第百三十銀行長浜支店だった建物で壁が黒く、当時の愛称は黒壁銀行。
付近一帯は黒壁スクエアという名称で近年観光地化され、町おこしの成功例といわれます。
1階ステンドガラス館・2階太閤ひょうたん(黒壁11・12號館)。
長浜旧開知学校
駅前通り沿いに建つ木造3階建、八角塔屋付の擬洋風建築。
外装モルタル塗、腰石積、隅石付。
正面入口とその上部に列柱式開口部を構え、壁面に上げ下げ窓と花形レリーフを均等に配す。
学校施設として利用された後、近年改修され,現在展示・会議室として活用。
街道沿いには今も、港町の風情を残す舟板塀や紅殻格子(べんがらごうし)、虫籠(むしこ)窓の家々や白い土蔵を持つ老舗の商家、道中安全を願った常夜燈などが建ち並び、昔の面影を色濃くとどめています。
廃業となってまちづくり役場として再利用されている土田金物店。
ホームセンターが多いからか、最近はこういう金物店もあまり見なくなりました。
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