橋本の西部市街、東家(とうげ)から市脇にかけての一帯は、いわゆる相賀荘(おうがのしょう)の地であった、大宝元年行幸の時の歌、
大和には 聞えゆくか 大我野の
竹葉刈り敷き 廬せりとは
「大我野」は、いろいろ説もあるが、このあたりではなかろうか。
紀ノ川畔の竹林は今はなくなっているが、竹葉を刈り敷いて草枕の旅寝をするわびしさを、故郷に知らせたく思う旅人の心も、じかにわかるようである。
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大和には 聞えゆくか 大我野の
竹葉刈り敷き 廬せりとは
「大我野」は、いろいろ説もあるが、このあたりではなかろうか。
紀ノ川畔の竹林は今はなくなっているが、竹葉を刈り敷いて草枕の旅寝をするわびしさを、故郷に知らせたく思う旅人の心も、じかにわかるようである。
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