瑞龍寺は加賀藩2代藩主前田利長(1562年 – 1614年)が、織田信長・信忠らの追善のため、文禄3年(1594年)金沢に創建した宝円寺(後に法円寺と改称)が瑞龍寺の前身。
前田利長は慶長19年(1614年)没し、後を継いだ3代藩主前田利常は、法円寺を利長の菩提寺とし、利長の法名瑞龍院に因んで寺名を瑞龍院と改めた(後、さらに瑞龍寺に改称)。
八丁道は瑞龍寺から前田利長墓所まで続いている道。
長さが八丁(約870m)あるので八丁道。
参道の途中に前田利長公の像。
惣門から山門を望む、右側大庫裏は修理中。
この門では上層と下層の屋根の出があまり変わらない。これは積雪時に上層屋根から落下した雪が下層屋根に当たるのを防ぐためといわれる。
下層に金剛力士(仁王)像、上層内部には宝冠釈迦如来と十六羅漢像を安置する。
仏殿、屋根は当初杮(こけら)葺きであったが、現状は総重量約47トンの鉛瓦葺きとする。
鉛製の瓦を用いる理由は、俗説では非常時に鉄砲の弾にするためともいうが、実際は冬季の積雪対策のためだという。
仏殿の須弥壇に安置された釈迦三尊の上部に、蓮の繊維と絹糸で織られたもの伝えられる布製の天蓋があります。
釈迦三尊。
内部を土間床とし、天井の構造材を見せて装飾としている点、組物(柱上にあり、軒や天井を支える構造材)を密に配する点などは禅宗様建築の特色であり、柱、扉、窓などの細部様式も典型的な禅宗様になる。
南西回廊の奥に前田利長、前田利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠を祀る5つの石廟がある。
仏殿と法堂。
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