名水百選(環境庁認定)に選ばれている鵜の瀬は、毎年3月2日に奈良東大寺二月堂への「お水送り」の送水神事が行われる所。
一週間前に降った大雪が残る鵜の瀬。
その昔、奈良で神様の会合があった時、若狭の神様である遠敷明神は釣りをしていて遅れてしまい、そのお詫びとして、本尊に供えるお香水を送る約束。
すると、奈良東大寺の二月堂の下から、白と黒の鵜が飛び立ち、きれいな水が湧き出したという。
その井戸は「若狭井」と名付けられている。
東大寺を開山した良弁(ろうべん)僧正は、若狭小浜のこの地、下根来(しもねごり)(白石)出身とされる。
また、大仏建立には当時若狭にて修行中のインドの渡来僧・実忠(じっちゅう)が招かれています。
天平勝宝4年(752年)、この実忠が東大寺二月堂を建立し、修二会(しゅじえ)を開いて全国の神々を招いたということです。
東大寺の公式HPでは「相模国(さがみのくに:神奈川県)の漆部(ぬりべ)氏の子として生まれ、義淵(ぎえん)僧正に師事されたといいますが、別伝では近江百済氏の出身で幼時に鷲にさらわれ、義淵僧正に育てられたともいわれています。」
と書かれており、若狭に生まれたという説はあまり有力な説でないからなのか、紹介すらされていない。
また、下根来(しもねごり)という読み方も独特だ、通常は「ねごろ」と詠むだろう。
「根」は おおもと という意味で、おおもとの神が来た場所 ということから名づけられたという説があります。
またもう一説には、ハングルの「ネ・コーリ」(あなたのふるさと という意味)から来ているという説もあります。
俳人 山口誓子(せいし)の句碑
「瀬に沁(し)みて 奈良まで届く 蝉(せみ)のこえ」
お水送りの神事になぞらえてよまれたもの。
鵜の瀬のほとり、ひっそりとたたずむ白石神社の前に立つ。
若狭彦神、若狭姫神が降臨(こうりん:おりたつこと)したという伝説の場所と伝えられています。
鵜の瀬公園資料館に展示されているお水送りの写真。
お水送りの送水神事は、神宮寺から山伏姿の行者や白装束の僧侶らを先頭に3,000人程の松明行列が、ほら貝の音とともに2km上流の鵜の瀬へ向かい、河原で護摩が焚かれた後、白装束の住職が祝詞を読み上げ、竹筒からお香水(こうずい)を遠敷川へ注ぎます。
このお香水は10日かけて東大寺・二月堂の「若狭井」に届くといわれ、奈良のお水取りは3月12日に行われます。
以前お水送り神事を取材した時の記事です、勇壮な神事です、御一読を。
春先取り 火と水が織りなす荘厳の世界 お水送り
天平勝宝 4年(752)インドの渡来僧・実忠が二月堂の建立の時、修二会を催して全 … 続きを読む →
鵜の瀬を訪れた後、お水送り神事の行われる神宮寺を訪問、しかし、門は閉じられ静かな山中には読経の声のみが響く。
なんと2月15日から3月5日まではお水送りの祈祷中で参拝できませんと書かれているではないか。
以前訪問時の記事がこちらにあります。
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