日本六古窯の一つ備前焼の街 伊部散策


独特の土味で落ち着いた風格のある備前焼が、ところせましと陳列されたショップやレンガ造りの煙突、土塀をめぐらした家並みに往時をしのぶものがあります。

伊部町(いんべちょう)は、かつて岡山県南東部(備前地域)に存在していた和気郡の町。

1951年、片上町と合併して備前町となったため地方自治体としては消滅した。

伊部駅のフロアまでが備前焼です。

備前焼は、土を感じる茶褐色の落ち着いた佇まいが魅力。

成形した器の表面に塗る「釉薬(ゆうやく)」を全く使わないのが特徴。

絶妙な凹凸感が味わい深く、手に持ったときに土の温かみを感じます。

「ハルカの陶」、週刊漫画TIMES(芳文社)にて連載され、第13回岡山<芸術文化賞功労賞>を受賞した同名コミックが実写映画化された、伊部の街がロケ地なのだ。

重要無形文化財保持者や備前焼陶友会による全面協力のもと、本物の窯を使った迫力ある窯焚きの映像を織り交ぜながら備前焼の魅力と、その土地に生きる人々の夢と情熱を描く。

未来への展望も情熱も失い、日々を無為に過ごすOL小山はるか25歳。彼女はある日、上司に連れられたデパートの陶芸展で備前焼の赤牡丹大皿を目にして感銘を受ける。

はるかは、そのえもいわれぬ精神的衝撃に浮かされるまま、その場で上司に退職を申し出て岡山県和気郡備前町(現在の備前市伊部)へと直行する。
はるかはそこで大皿の作者、若竹修と出会う。

若竹に弟子入りを願うはるかだったが、若竹は「すぐに会社を辞めるヤツ」「働くだけの毎日に空しさを感じて自分探しをするヤツ」には付き合ってられないとにべもない。

しかし、はるかは若竹に必死につきまとい、結果、見習いではあるが弟子として彼の元で働くこととなる。

まともな作品を作り上げる基礎の基礎を人並みにこなすまですら「土練り3年、ロクロ6年」と言われる備前焼。
その果てしない備前陶の道に、はるかが挑む。

ハルカの陶」予告編
―備前焼の重要無形文化財保持者や備前焼陶友会による全面協力のもと、本物の窯を使った迫力ある窯焚きの映像を織り交ぜながら備前焼の魅力と、その土地に生きる人々の夢と情熱を描く―。(HPより)

伊部駅から徒歩約2分の場所にある、備前焼の老舗窯元「桃蹊堂(とうけいどう)」。

赤レンガの煙突が目印です。

作品の展示販売や登り窯の見学ができる、器好きにたまらない場所。

土の質感をいかした味わいのある作品は、食器や花器、アクセサリーなど豊富なラインナップが揃います。

伝統的な焼成方法を守りつつ、現代に合わせたデザインで普段使いしやすいのが魅力です。

映画では「本で見た備前焼の街にいることを肌で感じながら歩くはるか。」の姿が・・・・・

歩道の石畳も備前焼。

備前市南部から瀬戸内市、岡山市内には古墳時代から平安時代にかけての須恵器窯跡が点在し「邑久古窯跡群」と呼ばれている。

この須恵器が現在の備前焼に発展したといわれている。

「邑久古窯跡群」で最初に築かれた窯は瀬戸内市長船町の木鍋山窯跡(六世紀中頃)で、七世紀後半~八世紀初頭になると瀬戸内市牛窓町の寒風古窯跡群周辺から瀬戸内市邑久町尻海周辺に窯が築かれる。

八世紀になると備前市佐山に窯が築かれ始め十二世紀になると伊部地区に窯が本格的に築かれ始め独自の発展へと進んでいった。

木村興楽園

備前焼窯元六姓木村家の総本家

初代木村長十郎は、1675年に岡山池田藩に選ばれた筆頭御細工人で、以後代々長十郎を襲名する。

現当主は、十六代木村長十郎友敬(木村茂夫)で、2018年に襲名し、長男邦夫と共に作陶している。

映画では「ショーウィンドウに飾られた備前焼を眺めるとワクワクが止まらない。」はるかの姿が・・・・・

鎌倉時代初期には還元焔焼成による焼き締め陶が焼かれる。

鎌倉時代後期には酸化焔焼成による現在の茶褐色の陶器が焼かれる。

当時の主力は水瓶や擂鉢など実用本位のものであり、「落としても壊れない」と評判が良かった。

この当時の作品は「古備前」と呼ばれ珍重される。

室町時代から桃山時代にかけて茶道の発展とともに茶陶としての人気が高まるが、江戸時代には茶道の衰退とともに衰える(安価で大量生産が可能な磁器の登場も原因)。

備前焼は再び水瓶や擂鉢、酒徳利など実用品の生産に戻っている。
この当時のものは近郷の旧家にかなりの数が残されている。

天津神社

伊部の人気観光スポットがこちら。

神主さんが備前焼の作家さんということもあって、狛犬から参道のタイル、屋根瓦まで境内のいたるところに備前焼が使われている珍しい神社です。

関ヶ原の戦いの21年前の1579年から続く、備前焼ゆかりの神社として広く知られており、狛犬、参道、屋根瓦にいたるまですべて備前焼。

周囲をかこむ塀には備前焼作家の陶印が入った備前焼が埋め込まれており、その鮮やかな美しさたるや備前焼ファンならずとも目を引かれます。

「ハルカの陶」にも登場します。

明治・大正に入ってもその傾向は変わらなかったが、昭和に入り金重陶陽らが桃山陶への回帰をはかり芸術性を高めて人気を復興させる。

陶陽は重要無形文化財「備前焼」の保持者(いわゆる人間国宝)に認定され、弟子達の中からも人間国宝を輩出し、備前焼の人気は不動のものとなった。

第二次世界大戦時には、金属不足のため、備前焼による手榴弾が試作されたこともあるが、実戦投入はされなかった。

2017年4月29日、備前焼は越前焼(福井県越前町)、瀬戸焼(愛知県瀬戸市)、常滑焼(愛知県常滑市)、信楽焼(滋賀県甲賀市)、丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市)とともに、日本六古窯として日本遺産に認定された(日本六古窯 公式Webサイト)。

釉薬を一切使わず「酸化焔焼成」によって堅く締められた赤みの強い味わいや、「窯変」によって生み出される一つとして同じものがない模様が特徴。

現在は茶器・酒器・皿などが多く生産されている。

「使い込むほどに味が出る」と言われ、派手さはないが飽きがこないのが特色である。

下水道 マンホールの蓋

「天津(あまつ)神社」の備前焼でできた狛犬と、 備前市の市章、「備前焼のふる里」の文字入りです。

備前市伊部にある天津神社は、参道や狛犬、いたるところに備前焼が使われていました。

備前焼の魅力である茶褐色の地肌は、「田土(ひよせ)」と呼ばれるたんぼの底(5m以上掘る場合もある)から掘り起こした土と、山土・黒土を混ぜ合わせた鉄分を多く含む土とを焼くことによって現れる。

土の配合にもある程度比率が存在するが、各々の土を寝かす期間も存在し、出土する場所によっても成分が違ってくる。よって、作るには熟練の技が問われてくる。なお、人間国宝の一人である金重陶陽は10年寝かせた土を使っていたとされる。

土の配合にもある程度比率が存在するが、各々の土を寝かす期間も存在し、出土する場所によっても成分が違ってくる。

よって、作るには熟練の技が問われてくる。

なお、人間国宝の一人である金重陶陽は10年寝かせた土を使っていたとされる。

備前焼の七不思議

投げても割れぬ、備前すり鉢
備前焼は、釉薬をかけず裸のまま、約2週間前後1200度以上の高温で焼き締めるため、強度が他の焼き物に比べると高いレベルにあります。 それがゆえに、「投げても割れぬ・・・・」と言われるようになりました。

冷たいビール、温かいお茶
備前焼は内部が緻密な組織をしているために比熱が大きくなります。 そのため保温力が強く熱しにくく、冷めにくくなります。

きめ細かな泡で、うまいビール
備前焼には繊細な凸凹があり発泡能力が高いことから、 泡はきめ細かく泡の寿命が長いことからより美味しく飲むことができます。

長時間おくと、うまい酒に
備前焼の内部に微細な気孔があるため、若干の微細な通気性が生じます。 これにより、酒、ウイスキー、ワインの香りが高くまろやかで、こくのある味に変身を促します。

うまい料理が食せる
備前焼は、他の焼き物に比べ表面の小さい凸凹が多いため、 食物が皿肌に密着しないので取りやすく、又水分の蒸発力が弱いので乾燥を防ぎます。

花瓶の花が長もち
備前焼には微細な気孔と若干の通気性があるため、長時間生きた水の状態が保たれ花が長もちします。

使うことで、落ち着いた肌ざわり
備前焼の表面の微細な凸凹が、より使い込むことにより角が段々と取れ、使えば使うほど落ちついた味わいを増します。
※ 感じ方には個人差があります。出典(協同組合岡山県備前焼陶友会)

不老川に架かる橋のそば、備前焼で作られたお地蔵さんが・・・・

伊部の住宅地の間を流れている川です。

映画・ハルカの陶にも登場しており、とても美しい風景です。

そしてこの川は水量が少ない時は下に降りて散策出来ます。

「ハルカの陶」の1シーン。

ほろ酔いで歩く陶人とはるか。修の態度に納得のいかないはるかは、陶人に修の過去を訊いてしまう。

伊部の街を歩くと四角い煙突が何本も建っています。

この煙突も備前焼なんです。

今回見逃したところが多々あり、日を改めて訪れてみたい。

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吉備津神社


吉備津駅を降りて東へ歩くと、松並木が500mつづく吉備津神社の表参道に入る。

多くの松並木が、松くい虫で消えていく中で、大切に保護されている。

参道の朱塗りの欄干が、いろどりを添えている。

表参道の入り口は、旧山陽道と結ばれていて、西には板倉の宿があった。
江戸時代には、宮内地区は、吉備津神社の直轄地で、神社の繁栄とともに門前町としてにぎわったそうである。

吉備津神社は備中国一宮。
旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

「吉備津彦神社」とも称したが、現在は「吉備津神社」が正式名。

画像は1の鳥居。

岡山市西部、備前国と備中国の境の吉備中山(標高175メートル)の北西麓に北面して鎮座する。

吉備中山は古来神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。
当社と吉備津彦神社とも、主祭神に、当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀する。

置岩

吉備津神社内にある、大吉備津彦命が温羅(うら)との戦いのときに射た矢を置いたとされる岩。

吉備津神社には祭神である大吉備津彦命が、鬼ノ城に住む温羅を弓矢で退治したという伝説にちなんだ、矢を放って魔を祓い、国家安泰・五穀豊穣を祈る「矢立神事」があります。

本来は吉備国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされる。

この事から備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗る。

足利義満造営とされる本殿は独特の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定。

また社殿3棟が国の重要文化財に指定されるほか、特殊神事の鳴釜神事が有名である。

当地出身の政治家犬養毅は、犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、吉備津神社を崇敬したという。

神池の畔に犬養毅の銅像が建てられ、吉備津神社の社号標も同人の揮毫になる。

北随神門

室町時代、天文11年(1542年)の再建。
単層入母屋造檜皮葺。

神社正面からの参道途中に建てられている。
国の重要文化財に指定されている。

大吉備津彦命

第7代孝霊天皇の第三皇子で、元の名を「彦五十狭芹彦命(ひこいせさりひこのみこと、五十狭芹彦命)」。

崇神天皇10年、四道将軍の1人として山陽道に派遣され、弟の若日子建吉備津彦命と吉備を平定した。
その子孫が吉備の国造となり、古代豪族の吉備臣になったとされる。

「吉備津神社」の本殿は比翼入母屋造という「吉備津神社」のみでしか見らない様式。

比翼入母屋造りとは、入母屋の屋根を前後に二つ並べ同じ高さで繋ぎ一つの大きな屋根にまとめたもので、全国でも唯一の様式であることから「吉備津造(きびつづくり)」とも呼ばれ、国宝に指定されています。

拝殿は本殿と同時に造営され、桁行(側面)三間、梁間(正面)一間妻入りで、正面は切妻造、背面は本殿に接続。

正面と側面には裳階(もこし)を設ける。
屋根は本殿と同じく檜皮葺だが、裳階は本瓦葺きとする。

これら本殿・拝殿は、合わせて1棟として国宝に指定されている。

回廊

戦国時代、天正年間(1573年-1591年)の造営とされる。
総延長398m。
岡山県指定文化財に指定されている。

本殿と並びひときわ存在感があるのが、岡山県指定重要文化財に指定されている全長360mに及ぶ「廻廊」。

天正7(1579)年に再建された「廻廊」の美しく波打つ全景は、どこから撮っても画になるおすすめの撮影スポット。

「廻廊」の途中には、商売繁盛の神様を祀る「えびす宮」があり、毎年1月9日~11日に行われるえびす祭には、縁起物を求めるたくさんの人でにぎわいます。

「えびす宮」


御釜殿

江戸時代、慶長11年(1606年)の鉱山師・安原知種による再建。
単層入母屋造の平入で、本瓦葺。
南北に伸びた長方形で、北二間に釜を置く。
金曜日を除く毎日、特殊神事の「鳴釜神事」が行われる。
国の重要文化財に指定されている。

内部は以前は撮影できたのですが、撮影禁止となっている、残念に措置だ。

御釜の鳴り具合によって吉凶禍福を占うという神事であり、その霊験は少なくとも室町時代には天下に有名であり、江戸期の怪奇小説『雨月物語』にも登場します。

2014年にNHKで放送された大河ドラマで注目された黒田官兵衛もここで吉凶を占ったことを伝える書簡が残されています。

この吉備津彦命が祀られている吉備津神社なのですが、御祭神の大吉備津彦命は、実は温羅なのではないかとの説が存在。

というのも温羅というのは、朝鮮半島の百済(くだら)国の皇子で、この地に製鉄技術をもたらした人物と言われているのです。

吉備津神社から10kmほど北西にある、温羅が住んでいた「鬼の城(きのじょう)跡」は朝鮮式の城。

吉備の人とも友好的で、次第に人望を集めていきましたが、吉備国の製鉄技術を恐れた大和朝廷が吉備国に侵略。

温羅を捕縛・殺害したことによる民の不満を和らげるために、神として祀りました。
しかし事実を正当化するために、温羅を鬼のような悪者に仕立てあげたのだと…。

古代の日本においては史実を書き換え、正当化することが行われていたと言います。

もちろん今では真相はわかりませんが、この吉備津神社が古代の謎に満ちた神社であることは間違いないでしょう。

甦る古代吉備の国 謎の鬼ノ城
鬼ノ城は、吉備高原の最南端、鬼城山(きのじょうざん 標高397メートル)に遺る神 … 続きを読む →

伝説の岡山市 桃太郎コース
『岡山市は桃太郎市に改名します!』2013年1月29日、岡山市長による架空の記者 … 続きを読む →


宇賀神社

吉備の中山

境内後方の吉備の中山には多くの古墳や古代祭祀遺跡が残り、古くより神体山として信仰されたと考えられている。

中央の茶臼山(160m)山頂には大吉備津彦命の墓とされる古墳があるほか、最高峰の竜王山(北峰、標高175m)山頂には吉備津彦神社が祀る磐座がある。

社殿前の右手に、まるで地中から這い出てきたような姿の松の大木があり、池の上を這うように大きく枝を張り出している。 

老木の松は、幹周りが約2.4メートルと太く、樹高約2メートルで水平に生育していて、迫力のある黒い幹と大きく広げた枝ぶりが実に見事だ。

今日は申し分ない秋日和できれいな空が広がっている。

今日はZ6のテストも兼ねている。
レンズは24-70mm f/4ボケが美しい。

逆光でフレアを出そうと試みたが、フレアはめったに現れなかった。

宇賀神社の後方に見える寺院は普賢院。

今日は倉敷美観地区、岡山城には寄らず。

>宵の倉敷河畔散策
ペデストリアンデッキは、かつて市内に存在した倉敷チボリ公園に倣った北欧的な雰囲気 … 続きを読む →

川面に映える漆黒の城 岡山城
戦国時代に、備前西部から美作、備中に勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠としたことで近世 … 続きを読む →

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ユニーク


早朝の散歩、とてもユニークな板金屋さん発見。
あちこちに「ヘコんでも復活」の文字。

ユニークな工作物があちこちに、挫折禁止もユニーク。


廃車にプランターもユニーク。

国道を走っていても嫌でも目に留まるアイデア、なかなかのものだ。

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ノスタルジー


5年ぶりに田舎に行った。

5年前の記事
故郷の山河
ふるさとは遠くにありて思うもの・・・・・・ 故郷へ所要がありつかのまの里帰り、観 … 続きを読む →

画像は岡山駅頭にある六校生の像。

高下駄にマント下駄、台座に「青春感謝」と刻まれ、背面の由来文に「三年間の六稜生活は 弊衣破帽 文武両道に励み 時に街頭に出て放歌高吟することもあったが 『六高マン』の愛称で温かく見守られた」とある。

六高は、内田百閒、郭沫若、仁科芳雄など・・・多くの著名人を輩出した。

このブロンズ像は、岡山市出身の児童文学者坪田譲治の小説「風の中の子供」などに登場する善太と三平の兄弟をモデルにしており、像の2人の少年は譲治の生家の方を向いている。

美作落合駅。
1924年(大正13年)5月1日 – 作備線(当時)美作追分駅 – 久世駅間開通と同時に開業。完全な無人駅ではないが、駅員(地元住民へ簡易委託している)のいない時間帯がある。

朝晩の通学用のダイヤがメインで昼間はほとんど列車が走っていない。
車がないと住みにくい地域だ。

旭川(あさひがわ)は、岡山県を流れる一級河川で、旭川水系の本流である。
県の中央部を流域とし、吉井川・高梁川と並び岡山三大河川の一つに数えられる。

また、高瀬舟で木材や大豆、鉄などが運搬された。高瀬舟は初期の頃落合(真庭市落合町)から、その後美作高田(真庭市勝山地区)から岡山城下まで航行し、岡山城下の京橋付近をはじめ、久世、福渡、金川などに船着き場が設けられ、川湊として賑わいをみせた。

明治時代に入っても製鉄による「鉄穴流し」が行われ、土砂堆積による河床の上昇がみられていたため、幾度となく航路維持のため浚渫工事が行われていた。

河原のヨシは焼かれている、一面に霜が降りているが今年は積雪がほとんどなくスキー場は閑古鳥が鳴いている。

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宵の倉敷河畔散策


ペデストリアンデッキは、かつて市内に存在した倉敷チボリ公園に倣った北欧的な雰囲気で、小さな屋外ステージもある。

駅前ロータリーにある時計台のからくり時計もアンデルセン童話がテーマになっている。

階下は観光バスやタクシー、自家用車が止まるロータリーになっています。

アンデルセン広場の階段上にいるアンデルセンの銅像。

人の往来が絶えない倉敷川畔から道一本隔てた、静かで落ち着いた時間が流れる本町通り。

古くは倉敷と早島を結ぶ街道で、倉敷川沿いより先に町となり箪笥屋、桶屋など職人達が軒を連ねる場所でした。

現在も格子戸の宿、杉玉が軒に下げられた造り酒屋、阿智神社へと続く参道など、昔のままのような風景に出会うことができる静かな通りです。

特に夕暮れ時ともなると何とも言えぬ雰囲気で散策を楽しくさせてくれる。

空も晴れ渡り気持ちのいい散策です。

今橋より美観地区の光景。

現在の倉敷川の川幅は10メートル程ですが、船による物資の輸送がされていた頃には川幅20メートル程あったとされています。

最も栄えていた時期には、約40隻の船が物資の運搬を行っていたとされています。

月も出て、いよいよ雰囲気も盛り上がる。

「今橋」は大原美術館のコレクションの多くを選定し、自らも洋画家であった児島虎次郎がデザインした橋で、菊の文様のほか龍の彫刻も施されています。

行きかう川舟がなんともいい、もう少しいたいがタイムリミットです。

阿知の藤のデザインのマンホール。
周囲には「きれいな水を 未来に!」と倉敷市章。

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ジーンズの町児島

足袋・学生服・作業服と、繊維のまちとして発展し、国産ジーンズ発祥の地として生まれ変わった「児島」。
いま児島に新しいスポットが誕生しています。

レトロな趣のある味野商店街を中心に岡山のジーンズメーカーのショップを集めた「児島ジーンズストリート」には、児島ジーンズならではの「藍染め」を特徴とし、オリジナリティーあふれるこだわりの品々が販売されており、全国のジーンズファンからの注目を集めています。

JR児島駅の階段もジーンズ。

駅長室もジーンズ。

児島地区には現在も200社以上の関連業者が存在しており、世界でも稀なジーンズ産業集積地であり、国産ジーンズの約40%以上は児島で製造されています。

21世紀のジャパンブルー
 
藍染めは天然の原料を使った草木染めの一種。
その色合いを参考に、100年以上前、ドイツで生まれた合成染料が「インディゴ」である。

インディゴはいろいろなところで使われているが、最も身近なものがデニム。
現在、日本産のデニムは発色や耐久性に特徴があり、岡山県には倉敷市をはじめデニムの生産者が多い。
新たなジャパンブルーとして、岡山デニムは海外からも注目されている。

有松絞りも藍染の伝統芸術の一つ。
東海道の古い町並みと絞りの町 有松宿
投稿日時: 2013年10月14日
有松は池鯉鮒宿と鳴海宿の間宿である。 古い町並みがそのまま残り、江戸時代の風情が … 続きを読む →

わが故郷勝山は草木染によるのれんの町として有名です。
のれんのかかる町 町並み保存地区 勝山
投稿日時: 2013年5月24日
勝山は三浦藩2万5千石の城下町である。 昭和60年に町並み保存地区に指定され、昔 … 続きを読む →

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絶品ダコの下津井漁港散策


むかし下津井回船問屋「母屋」と周辺の町並み>

下津井節で全国的に知られている下津井魚港。

北海道で獲れたニシン粕、かずのこ、こんぶなどを満載して、日本海から関門海峡を廻って北前船が行き来していた。

その頃、下津井は「風待ち、潮待ち」の良港として知られており、下津井節はこの北前船の船頭たちによって伝えられたと言われている。

「むかし下津井回船問屋」は、江戸時代に金融業と倉庫業を営んでいた西荻野家の住宅を、明治初期に回船問屋高松屋(中西家)が取得したもので母屋やニシン蔵として使われていた。

母屋を中心に、むかしの下津井にまつわるさまざまな資料を展示している。

下津井名物「干しダコ」~むかし下津井回船問屋の隣の店で販売している干しダコ

明石では干しダコの最盛期が夏であるのに対して、下津井では冬。

これは明石が産卵期を迎える前のタコを干してお盆に向け京阪神地区へ出荷するのに対し、下津井では冬の気温差を利用してより旨みを凝縮した大きな干しダコを正月に向けて出荷しているためだと思われます。

明石も下津井も潮の流れが速く、そのせいで太くがっしりした足になり歯ごたえと甘みが増すといわれてます。

下津井駅

かつての四国往来に由来する、下津井 – 丸亀航路との連絡駅であり、駅舎南側から下津井港の発着場まで連絡通路が設置されるなど、同航路との連絡の便が図られていた。

陣羽織
凌波隊の指導者が所有していたもの。

写真では分かりにくいですが、法被には紋の下に白い兎が刺繍されています。

凌波隊とは、幕末に下津井で生まれた民兵隊。
下津井に何カ所か設けられた台場を守っていた。

当時の繁栄を物語る看板。

明り取り窓。

今日のお昼は食事処「Cantina登美」で。

前の海で獲れた新鮮な魚介類を使った「蔵定食」。
海鮮丼、タコ天、あなご丼等、また、ピザやパスタなどもあります。

高い天井、太い梁などかつての豪商ぶりが感じられる。

瀬戸大橋の架橋に併せ沿岸道路が整備されたため港も近代化が進んでいるが、常夜灯や雁木が一部残っており、街中には江戸時代に廻船問屋や遊郭が軒を並べた頃の面影が残り、岡山県によって町並み保存地区に指定されている。

散策中に見かけたかわいい人形。

どの家の軒先にもアルミ缶風鈴がきらきら。

街には遊郭もありました。

北前船が港に入ると船乗り達の上陸を待ちかねているお女郎さん達が「まだかな、まだかな」と声をかけたそうです。

その「まだかな」という声が、そのまま小さな橋の名前になりました。

それを「まだかな橋」と言います。

元は海岸にあったこの橋(桟橋)も海岸の拡張工事で埋め立てられてしまいました。

今は元の海岸近くの埋め立て地の下になってしまい、わずかに遺構と思われるものが残っているだけです。

下津井港に突出した浄山には、祇園宮の社殿があり、この境内からの瀬戸の眺めは絶景です。

祇園神社下から瀬戸大橋を望む。

ここは、釣りバカ日誌18 「ハマちゃんスーさん瀬戸の約束」のロケ地。

スーさんを探すはずが美しい瀬戸内海を前に我慢できなくなり、防波堤で釣りを始めたハマちゃんとスーさんが偶然出会うシーンの撮影が行われた。

映画「ひるね姫」の舞台、倉敷市下津井(しもつい)。

ひるね姫聖地のロケ地スタンプラリーが行われており、巡回バスの「とこはい号」にも「ひるね姫」が。

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奈義町現代美術館 展示室「月」の部屋


正面が、「月」の部屋≪HISASHI-補遺するもの≫

「月」の平坦な壁は中秋の名月の午後10時の方向を指している。

安らぎの場所。ここは休らう所である。

ためらい、足をとめ、休息する。穏やかな気持を取り戻す。

「休」という漢字のかたちからみてわかるように「人が木により憩う」ごとく。

庇の下で雨宿りをしたり、影のなかで強い日差しを避けて息づく生き物たちのように。護られてある休息。

三日月のかたちの大きな部屋。その端から入ると、白い大きな平面の壁に取り付けられた3体の黄金色の≪HISASHI≫たちがいる。

HISASHI <この有機的な形態は、雲のようにも見えるが、作者の行為をとおして「時」が凝固したオブジェたちである。 関連記事[catlist categorypage="yes"]
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奈義町現代美術館 展示室「太陽」の部屋


「太陽」の部屋 ≪遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体≫ 「太陽」の軸は南北軸。

斜めの不気味な黒い円筒は、後ろに回り込めば入り口があって、これは上階に繋る螺旋階段であった。

人ひとりがやっと通れるほどの狭さ。
螺旋階段の柱の主軸は傾いているし、手探りでまるで「胎内潜リ」のように、黄色い段々を登ってゆく。

階段室の出口に辿り着こうとすると階段のいくつかがない。

足で探ると階段が黒く塗ってあって見えないだけなのだった。
注意を全身で払えということなのかととりあえす納得する。

上方には凸面鏡があり、自己と空間の像の変形によって遠近と上昇下降のイメージが狂わされる。そして問題の〈部屋〉に出る/入る。

前方から光が襲って来る。
この部屋は真南を向いている。

そしてシルエットになった一対の渦巻、中国伝来の「陰陽」の模様(太極図)。

よく見て、空間関係を調整して了解しようとすると、左右にやや小さいが京都の龍安寺そっくりの石庭が、実は真南を向いた円筒の部屋の中心軸を対称にして対に置かれている。

しかしなぜ龍安寺なのだろう? アラカワ/ギンズは、人工によって〈懐かしさ〉を「建築する」ことを目指している。

この部屋に「心」と名付けているのもそれによる。

前方正面の黒い円筒の向こうが螺旋階段になっており、先ほど登ってきたところだ。

天井とは対照になっている、そして、ベンチもシーソーも軸線に対してすこし偏芯している、平衡感覚がおかしくなってくる。

最初の計画案では、垂直の円筒型の建築物の中に倒立した法隆寺があって、「胎内潜り」のように、その法隆寺を潜って行くと何時しか建物の外部に出ているというものであったという。

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奈義町現代美術館 展示室「大地」


ワイヤを使った流れるような曲線を表現した「うつろい」の世界。

入り口を入ると喫茶室、目の前に「うつろい」の世界が広がる。

奈義の地と水との関りをテーマとした宮脇愛子氏のアート空間「うつろひ」

夫は建築家の磯崎新。

磯崎は2番目の夫であり、最初の夫は中央公論社の編集者で、後に鉄道紀行作家として活躍した宮脇俊三であった。

宮脇姓の頃に彫刻家として成功したため、俊三との離婚・再婚後も宮脇姓で活動している(宮脇との結婚前の姓は荒木。)

「大地」の中心軸は、秀峰那岐山の山頂に向かっています。

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