2014-07

滋賀県

醒ヶ井地蔵川のバイカモ(梅花藻)

中山道を流れる地蔵川のバイカモはキンポウゲ科の水生多年草で、清流でしか育ちません。 7~8月ごろに、梅の花に似た白い小花を咲かせることから『梅花藻(バイカモ)』の名が付きました。 中仙道の宿場町として栄えてきた醒井その町の中を流れる地蔵川。...
甲信越

信玄公ゆかりの甲斐善光寺

永禄元年(1558年)、甲斐国国主武田信玄によって山梨郡板垣郷に創建された。 開山は信濃善光寺大本願三十七世の鏡空。 山門、本堂とともに焼失したがのちに再建され現在のものは桁行およそ17メートル、梁間およそ7メートル、棟高およそ15メートル...
甲信越

中山道の治め 甲府城

甲府城は武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城された。 関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。 かつては20haほどの広大な城郭でした...
甲信越

花子の過ごしたまち甲府

新府城、武田氏館、積翆寺と見て回り、今日の泊りは花子の過ごしたまち甲府の甲府ワシントンホテルプラザです。 今回も朝食前の早朝散策に出かけた。 画像はJR甲府駅、中央本線と、当駅を終点とする身延線の2路線が乗り入れている。 甲府という名称は、...
甲信越

信玄出生地 積翠寺

積翠寺は甲府市街地を形成する相川扇状地の頂部、甲府駅の北約4キロの標高約540〜700メートル、国の史跡に指定されている要害山城の麓に位置している 積翠寺近在の要害山城は、『高白斎記』に記される武田信玄生誕の地でもあり、現在も同寺院には信玄...
京都府

祇園祭2014 後祭の山鉾巡行・花笠巡行

京都・祇園祭で、49年ぶりに復活した後祭の山鉾巡行が24日、京都市中心部で行われた。 場所をうまく選べは山鉾と花笠の両方が見られる。 山鉾と花笠の両方が見られる最良の場所は市場河原町交差点、9時過ぎに到着したが既にいい場所はほぼ埋まっていま...
甲信越

三代にわたる甲斐源氏武田氏の本拠躑躅ヶ崎館

躑躅ヶ崎館は戦国時代に築かれた甲斐源氏武田氏の本拠地で、居館と家臣団屋敷地や城下町が一体となっている。 信虎、晴信(信玄)、勝頼3代の60年余りにわたって府中として機能し、後に広域城下町としての甲府や、近代以降の甲府市の原型となる。 勝頼は...
甲信越

わずか60日あまりで捨てられた新府城

新府城は勝頼が築城し、甲斐武田氏の城郭技術の集大成と評価される崖端城。 一般には、武田氏は次々に領土を減らしていく一方になり、信玄の「人は城」という伝説(『甲陽軍鑑』『名将名言録』)を理念にできるほどの余力はなかったとされる。 しかし、新府...
滋賀県

3代将軍家光上洛の際の宿館 水口城(水口御茶屋)

関ヶ原の戦い後、徳川氏の直轄地となった水口は、東海道の宿場町に指定された。 その後、3代将軍徳川家光が寛永11年(1634年)、京都への上洛の際の宿館として、道中の水口に築かせた。 これが水口城(水口御茶屋)である。 作事奉行は小堀政一(遠...
滋賀県

悲運の関白 秀次の居城 近江八幡山城跡

豊臣秀次は18歳で入城したが、1590年(天正18年)に尾張国清洲城へ移封。 代わって京極高次が2万8千石で入城したが、1595年(文禄4年)秀次事件で羽柴秀次は切腹、聚楽第と同時期に八幡山城が廃城となると京極高次は大津城へ移った。 築城か...
京都府

3度に渡って築城された伏見城

伏見城は3度に渡って築城され、最初の城は朝鮮出兵(文禄の役)開始後の1592年(文禄元年)8月に豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に建設を始めた。 このとき築かれたものを指月伏見城、後に近隣の...
奈良県

山辺の道 雨中散策

梅雨の季節、山の辺の道を桜井から大神神社まで歩きました、カメラ片手の散策ですからなかなかはかどりません。 初瀬川と三輪山、もう少しガスっていたのですが撮影ポイントに着くまでにガスが少なくなってしまいました。 隠国(こもりく)の 泊瀬(はつせ...