わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。
清盛が描いた夢の跡をたどってみた。
今回は平経俊の五輪塔のある鎮守稲荷神社。
JR神戸駅から国道2号線沿いに西へ5分ほど歩いたところに、地元の人々から「ちぢみさん」の愛称で親しまれている鎮守稲荷神社が鎮座しています。
鳥居の脇に大きな看板が立てられているので、建物の間に建っているにもかかわらず意外と目に付く神社です。
平経俊の五輪塔
平経俊(たいらのつねとし)は平清盛の弟経盛の子です。
経正・経俊・敦盛の三兄弟とも源平一の谷の合戦で戦死しています。
この合戦で鵯越えの守備についていた経俊だったが戦利あらず、長田の森を経て西出の浜へと落ち延びてきた。
しかし、源範頼の郎党・名和太郎に追い迫られ、勇ましくも組み打ちとなったが当地で落命した。
時に寿永3年(1184)2月7日、わずか18歳であった。
この五輪塔は経俊の霊を慰めるため南北朝時代(1300年代)に建てられたものだそうです。
碑の前には「佐比江の濱奈比木の松原堤にて討死し給う」という立て札があったとか。
信心すれば子供の夜泣き・カンムシによく効くという言い伝えがあります。
西出町では3月7日(太陽暦)の命日に御霊祭を執り行っている。
[神戸市史蹟指定]
五輪塔は平安時代に創始されたもので、空・風・火・水・地の五大を宇宙の生成要素と説く仏教思想です。
五輪塔には梵字で刻まれていますが「キャ カ ラ バ ア」と読みます。
御堂の落成や仏像開眼時の供養に造っていたが、鎌倉時代以後は先亡者の供養や墓石として造られるようになりました。
高田屋嘉兵衛献上灯籠
この石灯籠は文政7年(1824)12月、淡路五色町出身の海の豪商として活躍した高田屋嘉兵衛が海上交通安全を祈って献上したものと伝えられています。
灯籠には[兵庫津高田屋 手舩中 文政七稔歳次甲申十二月。
世話人 肥後屋八十良 古金屋太良兵衛 石工文右衛門]と、刻まれています。
境内のキツネ、金網に入れられているのは何故かな?
鎮守稲荷神社へのアクセス、行き方歩き方
住所:兵庫県神戸市兵庫区西出町680
TEL:078-681-2112
地下鉄海岸線ハーバーランド駅より南西へ徒歩約10分
JR神戸駅から国道2号線沿いに西へ5分