波止浜は東は今治市、南は乃万村と接し、北は来島海峡に面す。
来島城跡に渡るべく波止浜に来ている。
港口には来島・小島の2島を控え、古来、箱港と呼ばれている。
燧灘・斎灘を航行する船舶が、来島海峡の急潮と風波を回避するため利用していたほか、漁港としても利用されてきた。
かつては塩田で栄えたが、時代ともに消滅。
その後塩田は埋め立てられ造船所が立地するようになり現在では今治造船、新来島波止浜どっくなどの造船会社の本社、工場がある。
造船が盛んなことから造船関連の産業も発達し渦潮電機、潮冷熱の工場が立地している。
波止浜港の待合室横に灯明台があります。
「和式灯台」とも呼ばれ、明治になって洋式灯台が築かれるまでは、灯台の役目を果たしていました。
幕末のころ、全国には100基余りあったと伝えられ、波止浜港に残る灯明台もその一つです。
この灯明台は花崗岩(かこうがん)の切石を積み重ねた石造灯明台で、嘉永2(1849)年の築造です。
塔身部には「金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)」の文字が刻まれ、航海安全を神に託す、当時の海事関係者の思いが込められています。
この桟橋から来島へ渡ります。
定期運航の隙間を縫って船をチャーターしています。
ペルーの舟かな、Arequipa(アレキパ市)の文字が見える。
こちらは昭和油槽船(現 : 昭和日タン)の外航オイル・ケミカルタンカー”SHOSHUN”。
港内は修理の舟で満杯です。
溶接の火が見える。
さびれた酒屋が一軒、うらぶれた港町の風情。
西側は古くから港町で栄えてきた歴史を感じさせる建築物・構築物もみられ、来島・小島への定期船もこちらの桟橋から発着する。
東側は西側に比べると新しく開けたエリアであり、造船所等の集積する工業港区である。
今治のマンホールの蓋、伊予水軍のデザイン、「いまばり」「おすい」の文字。
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波止浜へのアクセス、行き方歩き方
波止浜駅→市内バスに乗り換え高部から渡し場経由波方港北線経由→渡し場下車(徒歩約1分)
→波止浜観光港
しまなみ海道(今治北インター)→車で約10分