造今城塚古墳は営時の6世紀前半では最大級の古墳。
宮内庁の治定は受けていないが第26代継体天皇の真の陵とする説が有力で、発掘調査が可能な大王陵になる。
古代体験ミュージアムとして2011年(平成23年)4月に開館。
シンボルマークは古代船、発掘されたハニワの線刻画からとられている。
古代船の線刻画が描かれた円筒埴輪。
巨大な復元模型。
6世紀前半に築造された今城塚古墳は淀川流域で最大級の前方後円墳。
周囲は二重の濠でめぐらされており、その規模は、外濠までふくめると、何と約350メートル!
後円部に比べて、前方部が大きく開き、巨大化しているのも、この時期の前方後円墳の特徴。
埴輪祭祀区から発掘された多くの埴輪。
国内最大の家形埴輪。
石棺に使われた凝灰岩は、奈良や兵庫県、遠くは熊本県などから入手している。
並外れた権力のもとに造られたことがうかがえる。
思わずギョッとする、石棺内部、被葬者の模型、継体天皇を想定しているのか?
古墳築造の様子をジオラマで。
真の継体天皇陵である可能性が高いことから、戦前《1935年-1944年(昭和10年-昭和19年)》に設けられた臨時陵墓調査委員会においても、この古墳を「陵墓参考地に編入すべし」との答申が行われた。
しかし、宮内庁は今城塚古墳の陵墓参考地指定については現在も難色を示しており、今城塚古墳から1.3キロメートル西にある大阪府茨木市の太田茶臼山古墳を継体天皇陵に治定している。
太田茶臼山古墳の築造は5世紀中葉と考えられており、継体天皇が没したとされる年代よりも古い時代の古墳と考えられる。
墳丘の荒廃が著しいことは、一時は織田信長が三好家を攻めた1568年(永禄11年)の摂津侵攻に際し築いた城砦として使われたためと理解されていたが、発掘調査の結果、1596年(慶長元年)の伏見大地震によって墳丘が地すべり性の崩壊を起こしたものと判明している。
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今城塚古墳古代歴史館へのアクセス、行きかた歩き方
高槻市郡家新町48番8号
072-682-0820
JR摂津富田駅より<南平台経由・奈佐原>行き「今城塚古墳前」徒歩すぐ または<関西大学・萩谷・萩谷総合公園>行き「氷室」徒歩8分