創建年は明治末期の1910年。
真言宗の開祖である弘法大師(空海)が遣唐使で唐に渡ったのを顕彰する為、遣唐使一行が出航したとされる跡地に弘川寺の末寺の寺号である「釈迦院」の名前を継承して開基された。
開基当初の釈迦院は現在地より東の天保山運河の近くに位置し、7400坪程の広大な敷地を有していた。
大正時代から昭和初期にかけて同寺は大師信仰の中心地として栄え、東の四天王寺、西の築港高野山と呼ばれるほどであったが、大阪大空襲により寺は全焼。
浪曲塔
釈迦院の山門から入って右手に浪曲塔と呼ばれる石碑が建っている。
戦前、港湾労働者の間では浪曲が盛んで、浪曲師で浪曲の寄席「広沢席」の席主でもある広沢虎吉が釈迦院の住職の弟子であった関係で、同寺の境内に浪曲の祖とされる藤原澄憲を祀る碑が建てられた。
碑は大阪大空襲で寺が焼失した際に失われたが、寺の再建に伴い碑も再建された。
同寺では毎年8月30日に浪曲師たちの供養を兼ねた「浪曲まつり」が開かれている。
行者堂
真ん中に不動明王・隣に空海と役小角の石像が祀られている。
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