「秋の九州爽やかウォーキング」と題するクラブツーリズムのツアーに参加。
耶馬溪、深耶馬渓、九重夢大吊橋、瀬の本高原、菊池渓谷、熊本城、高千穂峡、通潤橋を巡る非常に良い企画であった。
数回に分けて紹介します。
今回は耶馬溪から九重夢大吊橋まで。
あいにく小雨の出航となる。
こういう日は 手に持たずにさせる折りたたみ傘 肩ブレラが大活躍です。
名門大洋フェリーの旅です。
雨が降っていて甲板には出られません。
一瞬、虹がかかったのですが、乗船中に消えてしまい、撮影できず。
18時前明石海峡大橋を通過。
この頃になると雨はほぼ止んでいた。
21時30分頃、瀬戸大橋を通過。
ライトアップされておらず、真っ暗闇の写真となってしまった。
この後、23時50分頃に来島海峡大橋を通過する予定だが、同じ状況だろうと、撮影を断念。
フェリーで朝4時30分からの朝食を済ませ、バスに乗り換え、耶馬溪へ向かう。
耶馬溪の手前で日の出を迎えた、バスの車窓から撮影。
最初は青の洞門の散策、これは下流側の手掘りトンネル・窓は最初に作られた明り取り用の窓といわれている。
青の洞門(あおのどうもん)は、大分県中津市本耶馬渓町樋田にある耶馬渓の山国川に面してそそり立つ競秀峰の裾にある洞門(隧道、トンネル)。
大分県指定史跡。全長は約342mで、そのうちトンネル部分は144m。
1750年(寛延3年)に第1期工事が完成し、最終的に開通したのは1763年(宝暦13年)であった。
諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれている。
この逸話を元にして書かれたのが、1919年(大正8年)に発表された菊池寛の『恩讐の彼方に』。
ただし、この小説では、隧道は「樋田の刳貫」と呼ばれ、「青の洞門」という名称は用いられていない。
また、主人公の僧の名は了海とされている 。
この小説とは別に、1923年(大正12年)の『尋常小学国語読本 巻十二』でも教材として取り上げられ、これらによって青の洞門は広く世間に知られるようになった。
昔は山の中腹の白っぽいところを通行していたという。
断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所であった。
九重“夢”大吊橋(ここのえ“ゆめ“おおつりはし)は、大分県玖珠郡九重町にある歩行者専用の吊り橋。
日本一高く長い歩行者専用橋。
平成18年10月30日落成式 同日正午より営業開始。
本体着工 平成16年5月。
総工費 (周辺整備費を含む) 約20億円 国・県の補助なし。
橋の高さ173m、渓谷の上は吹き抜ける風が冷たく、体感温度は真冬並み。
高低差は約200mに上るV字谷で、斜面一面をモミ、ツガ、カエデなどの落葉樹が覆い尽くし、九州地方有数の紅葉の名所としても知られる。
橋上から眺める鳴子川渓谷の紅葉した山肌。
遠景は九重連山、三俣山、久住山が見える。
標高777mの九重夢大吊橋の上からは、丁度中間辺りで目前に「女滝」を望め、九酔渓、鳴子川渓谷の雄大な景色等360度のパノラマ、くじゅう連山、「日本の滝百選」に選ばれた「震動の滝」も少し遠く奥側に望める。
橋の中間地点にある案内表示。
震動の滝は玖珠川上流九酔渓の鳴子川にあり、雄滝(落差83m)、雌滝(落差93m)からなり、日本の滝百選に選ばれている。
雄滝は水量が多く、その流れ落ちる勢いで周囲が震動するかのように思われることから震動の滝という名が付けられたと言われる。
滝までは遊歩道が整備されている。
山腹は、赤、黄、青と様々にモザイク模様を呈す。
橋から見る鳴子川渓谷(なるこがわけいこく)、この約250m下流(写真では奥)が紅葉で有名な九酔渓(きゅうすいけい)になる。
この日は天候・視界も良く、鳴子川渓谷の紅葉した山肌と遠くには九重連山が・・・
対岸の北方エリアより出発地、中村エリアを眺める。
右側に震動の滝が見える。
震動滝竜王社と竜神の石像
年々神通力が衰えてきた竜神は、不老長寿の薬として若い女を食らうことに・・・・・