松江散策 夜景と日の出

地域

今日の泊りは「松江東急イン」です。
夕食は飲み放題付の食事、中々やるねえ。
夕食後、早速夜の街へ。

「松江テルサ」ではクリスマスイルミネーション。

JR松江駅。

電飾で飾られた街路樹、宍道湖へ向かっています。

松江鼕(どう)伝承館がありました。

鼕(どう)呼ばれる太鼓の勇壮な音が響き、松江の鼕行列は、松江藩主第五代松平宣維の後妻として、享保九年(1724)伏見宮邦良親王のご息女岩姫が降下された時、松江の町人がきそって大鼕を作っておなぐさめしたのが始まりとの説がある。

しかし鼕の起こりについては、歳徳神を祀る行事と左義長行事が元となっているので、或いは、京の宮家のお姫様が僻遠(へきえん)の松江にご降下になったことのお祝いとお慰めのため各町毎に鼕を引き廻したことも考えられるが、行列としてまとまったものかは明かでない。

鼕行列が本格的に行われた始まりは、大正四年(1915)大正天皇御即位の御大典が行われたときである。

宍道湖畔、白潟公園までやって来ました。
灯りは青柳楼の大燈籠だけです。

以下、説明板に書かれていた文章を転記する。

この石燈籠は、もともと明治初期から松江の歓楽地として賑わった天満宮裏で最も大きな料亭の1つ「 青柳楼 」にあった。
現在の市立病院付近であるが、当時その辺は宍道湖の波打ち際であり、総来待石( そうきまちいし )・高さ6m余の大石燈籠は、入江の燈台の役目を果たしていたもので、松江の名物の1つとなっていた。

その後、宍道湖の埋め立てにより取り残されていたが、松江開府350年祭にちなんで昭和33年 現在地に移設された。
又、明治維新の時期、松江藩の危急を救ったと言われる侠女「 玄丹( げんたん )お加代が芸ぎとして勤めていたのが、青柳楼の隣にあった「 鳴玉楼 」( めいぎょくろう )だった事から、この石燈籠は「 お加代燈籠 」とも呼ばれている。

宍道湖大橋を望む。

翌朝、「くにびき大橋」から日の出を迎えます。
朝もやの中をしじみ漁の舟がドンドン通過していきます。

こちらは剣先川。

大山の向こうより陽が登ってきた。

日の出で紅く焼ける川面をしじみ漁の舟が行く。
舟の航跡と川面のそれぞれの色合いが何とも言えぬ風情を醸す。

太陽が発する光芒、きょうもいい天気になりそうだ。

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