文武学校(ぶんぶがっこう)は、江戸時代後期に創設された信濃国松代藩の藩校である。
明治時代初期に廃止されたが、藩校の建物は昭和期まで学校として使用されていた。
第6代藩主真田幸弘のとき、江戸から菊池南陽を招いたことから、松代藩での藩士の教育が始まる。
時が下り、第8代藩主真田幸貫が清須町の喰違御用屋敷手狭につき、学舎建設の計画を立ててていたとき、佐久間象山は藩家老矢沢監物に「学制意見書及学堂規則」を提出、幸貫はすでにあった水戸の弘道館を参考にするため、藩の儒官林鶴梁をして藤田東湖から組織、経営方法を聞くよう命令。
幸貫は東湖からの詳細な返事を経て建設を決意し、総奉行に鎌原貫唯、奉行に菅沼正身、長谷川昭道に任じ、喰違御用屋敷に藩士の金井美濃輔の屋敷を併せ地割、棟梁などを手配し着手するが、幸貫は逝去、第9代藩主幸教が遺志を受け継ぎ、完成。
安政2年(1855年)に開校した。
左、西序、右、文学所
西序ではしつけや漢方医学、西洋医学などの講義が行われた。
右、東序、左、文学所
また、儒教を廃しており、そのため、多くの藩校にみられるような孔子廟を設けていないのも特徴です。
柔術所
中央に板間の同情を設け、かねの手に幅一間の床が一段高く設けられている。
東序
文学所
建物の東側は文学所、西側は御役所。
文学所
弓術所と的場
開港当初は、5流10人の師範が教授したとされる。
明治時代に入ると兵制士官学校を併設しましたが明治4年(1871)の廃藩置県と明治5年(1872)の学制制度の発令によって廃校となりました。
現在の旧文武学校の建物群は開校当時の姿のまま保存されており全国的に見てみも貴重な存在として昭和28年に国指定史跡に指定されています。
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松代藩文武学校へのアクセス、行き方歩き方
住所:〒381-1231 長野県長野市松代町松代205-1
お問い合せ026−278−6152
長野ICから約1km、JR長野駅から松代行きバス約30分松代駅下車+徒歩5分