バス停から家老屋敷跡へ向かう、田植えの終わったばかりの田に塀が映り込みきれいです。
ちょうど田植えの真っ最中、緑がきれいです。
柳生藩の財政立て直しを行った、家老小山田主鈴(おやまだしゅれい)の旧屋敷。
豪壮な石垣がみごとで、天保12年(1841)尾張石工が築いたと刻まれています。
旧柳生藩家老屋敷の「長屋門」。
説明文には「正門の両側に長屋があり、中間部屋としていた。
明治になって茶づくり部屋に改造されていたが一部を残して両はしの部分が取りこわされた。」とありました
長屋門をくぐって建物を見ると、庭のあちこちに「米蔵」「納屋」「平門」「物置」などの看板が立っていて、その配置が分かるようになっている。
玄関 柵があって ここからは入れない、当時は、主人と殿様や来客者のみが使用した。
家紋「二階笠」。
こちらは、坂崎出羽守という武将からもらった家紋です。
十兵衛映画やドラマを見ていると笠を被った姿が印象的です。
笠の下には眼帯をした十兵衛登場!といったところかな♪
柳生家家紋も”二蓋笠”と呼ばれる二つ笠を記した模様となっております。
殿中衣
庭園:面積約250㎡、東面から北面に、矩折に展開している。
作庭にあたっては大阪の茶人木津宗詮の指導を受けたと伝え、前庭と合わせて大小24基の灯篭が配置されていたという。
手水鉢のあとの石組みのほか、各所に岩の景石が残されている。
カエデ・カシ・モチの巨木は樹齢およそ200年を数えるとみられる。
修復にあたってはできるだけ原型をとどめるよう意を用いた。(現地案内板より)
主鈴は岩代国(現在の福島県)の出身。江戸の柳生藩邸に仕え、文政9年(1826)に国家老として奈良に移り、商才を生かして柳生藩財政を立て直した。
昭和39年作家山岡荘八氏の所有となり、氏の小説「春の坂道」(NHKでドラマ化)の構想を練った屋敷として注目を集め、氏の亡き後は、その意志により、奈良市へ寄贈されました。
柳生焼は、柳生十兵衛の祖母、春桃御前が馬頭観音を焼いたのが始まりと言われる伝統の窯。
藩の性格上「お庭焼」の域だったが、明治に至り、長く中断していたこの窯を、井倉家先々代より再興と研究し、先代喜太郎の代に柳生焼と成した。」とある。
燕が巣を作っています。
『兵法の かちをとりても 世のうみを わたりかねたる 石のふねかな』
(意訳:剣術でいくら勝っても、世の中どうにもならんよね)
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