江戸時代中ごろより祭礼が盛り上がり、ミナミの今宮えびすとキタの堀川えびすが大阪の十日えびすを代表するようになる。
また今宮戎、西宮戎と並び、「三大戎」に数えられる。
赤い鳥居である。この鳥居は阪神大震災で倒壊した鳥居の後継として建てられたもの。
社伝によれば、欽明天皇の時代、止美連吉雄が蛭子大神の神託により堀江で玉を得、それを神体として富島に蛭子大神を祀ったのに始まる。
当時は瓊見社(たまみのやしろ)・止美社(とみのやしろ)と呼ばれていた。
明治40年(1907年)、近隣の神社を合祀して「堀川神社」に改称し、村社に列格した。
昭和20年(1945年)に戦災で全ての建物を焼失し、昭和38年(1963年)に本殿が再建された。
福興戎像(ふくこう・ふくおこしえびす)
平成7年1年17日の「阪神淡路大震災」で破断した表門石造鳥居(昭和2年奉納)の柱に彫刻されています。
平成10年の十日戎に奉納され、平成12年、「幸いを与える」の「福」と、「生ずる・起きる・盛んになる」の「興」を付けた「福興戎像(ふくこう・ふくおこしえびす)」の応募名称を採用し命名されました。
被災鳥居から蘇った由来をもって、除災招福の象徴として、広く崇敬者の心の支えとなっている。
神の世界もコロナが蔓延していると見えて、マスクをしてござる。
榎木神社(えのきじんじゃ)は、堀川戎神社の境内社である。
本殿は地車(だんじり)の形をしており、地車稲荷の通称で知られる。
木の神・句句廼知神と稲荷神・宇賀御魂神を祀る。
かつての榎の大木の根元には吉兵衛という老狸が住んでおり、毎夜、決まった時間に地車囃子の真似をしていたと伝えられる。
本殿が地車型なのはそのためである。
地車稲荷の神使は狐ではなく狸である。
願い事が叶うとその夜に地車囃子が聞こえるとされ、願いが叶ったお礼として地車の模型や絵馬を奉納する習わしとなっている。
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