当時 大阪には124の大名蔵屋敷があったが 現存するのは この門だけ。
黒田家の蔵屋敷は現在の中之島三井ビル付近にあった。
昭和8年同ビル建設に際し 三井から大阪市に寄贈された。
現在は天王寺公園内 大阪市立美術館南側に保存されている。
長屋門には別称で「後藤又兵衛あかずの門」や「後藤又兵衛不閉門」という呼び名もあるそうですが、由来について記された資料ははっきりとしていません。
ただ、大坂の陣で豊臣方についていた、真田幸村らと共に戦って討死した、黒田藩の武将が又兵衛が帰ってくるのを門を閉めずに待っていたという話が伝わっていると言います。
そんな「旧黒田藩蔵屋敷長屋門」を潜り抜けた後、右手側に進路を取ると慶沢園があります。
慶沢園 南門(出入口)
大阪市美術館の南側にひっそりと佇んでいます。
美しい庭園の出入口にしては小さく簡易的な門で、慶沢園を知らない人が見たら大きな庭園の正門だとは想像できないかもしれません。
慶沢園の額が掲げられていて、銅板葺の切妻屋根の中央部分のみに瓦が乗った、ユニークな屋根が特徴です。
入園する前に頂いたパンフレットを見ながら、庭園の見どころとなる部分を順に歩き進めて行くのですが、ひとつ目は池の前に曲線を描いて州が出入りしている「州浜(すはま)」があり「船着石(ふなつきいし)」が見どころとなります。
「州浜」より左回りで「石切橋」歩き進めて行くのですが、日本一の高層複合ビル「あべのハルカス」を正面に見ることができます。
池の対岸に雪見灯篭が微かに見え、さりげなく奥行きのある世界を示しています。
つくばい
手前に石があって、一段下がったところに石臼が置かれています。
正客は石のところまで来ます。
それでは水に手が届きません。
そこで付き人が石臼まで降りてきてひしゃくで水を汲み、正客はそれで手を清めていた様子が見えてきます。
「慶沢園」は、茶人の木津聿斎の設計をはじめ、近代日本庭園の先駆者とされる作庭家「小川治兵衛(おがわじへえ)」通称「植治」により、明治41年に造園が開始されて以来、完成が大正7年という、実に10年を費やして造られた住友財閥の茶臼山本邸の庭園となります。
四阿(あづまや)
園内の南にあり、椅子に座って美しい庭園を眺めながら休憩することができます。
窓枠が額縁の役割をすることで明るい庭園の美しさが引き立てられ、写真スポットとして人気があります。
窓ガラスには現代ではあまり見る機会が無くなってしまった波打ちガラスが使われています。
床には那智黒石(なちぐろいし)が敷かれています。
趣のある「四阿」の天井は矢羽根の網代で、廻縁は小丸太、庭園の観賞がしやすいように、左右および前面には窓ガラスがはめ込まれています。
「慶沢園」の名前の由来は「伏見宮貞愛親王」から賜ったもので、はじめは「恵沢」の名を用い「照代之恩恵、先祖の余沢」の意より出たもので「恵沢園」としていましたが、大正7年の5月に、今の「慶沢園」の字に改められています。
美術館の建て替えをはじめ、戦後の昭和33年~昭和35年頃に行われた本格的な整備により、敷地の東端部が大きく削られる改造を受けましたが、池をはじめとした中心部に関しては竣工時の状態を保っていると言います。
沢渡
大きな石を目指して人は渡り、そこで歩を休めます。
そこから見る景色がよい。
ここにもデザインとして石臼が使われています。
2本の短い石橋が互い違いになるように掛けられており、小川治兵衛の遊び心が感じられます。
程なくすると、先程よりも少し大きな「州浜」があり、前方には、住友家の旧本邸敷地に建てられている大阪市立美術館が見えているのですが、それを背景に庭園を観賞できます。
「慶沢園」は、大名庭園を基礎に造営していて、大小3つの中島を浮かべた大池を中心に、その三方に全国から名木や名石を集めて築山を築いた造りになっています。
龍頭石(りゅうずいし)と龍尾石(りゅうびいし)
天然石でできており、サツキの刈り込みを胴体に見立てて、手前の龍頭石から左奥の龍尾石にかけて龍が横たわっているように見せています。
絶景広がる「州浜」の横に「龍頭石と龍尾石」があるのですが、配置されている位置的にも遊歩道からではその全貌を見ることができません!
「州浜」には入ることが出来れば見えるのですが、立ち入る事ができず、生い茂る木々が邪魔していて見えません!
角度的には「四阿」辺りから見るのが良いかと思い、一旦戻って望遠レンズで写真を撮って見ました。
舟形石
後述の舟着石と対になる自然石です。
大海をイメージした大池に舟が漕ぎ出す前の様子が見事に表現されています。
最初にあった「船着石」と「船形石」の二対の石によって、大海となる大池を巡る船の旅を想像できるように設計されています。
そんな「船形石」ですが、これまた生い茂る木々で少し見えにくい場所に配置されていますので、お気を付け下さい!
最後の見どころは、庭園の北東の築山の麓に配置されている「滝」ですが、飛石の右手側の奥にあります。
水が落ちる滝壺に滝を登ろうとする鯉に見立てた水受石があり、このような滝の様式では、滝を登りきった鯉が龍になると言い「龍門瀑(りゅうもんばく)」と呼ばれています。
まずまずの水量がある滝ですが、そんな滝より流れ落ちる水が、大海に流れ出す様子を現しています。
庭園内には随所に飛石があり、こちらにも小川治兵衛の遊び心が感じられます。
足元に流れる水は、後述の滝から落ちた水が大池に流れ出す様子を表しています。
この日も若い人がパラパラと散策に見えています。
なお、飛石を渡らずに、滝の後ろ側を通る園路もあります。
ほぼ一周しました、振り返ると、ハルカス、四阿が見えています。
そんな見ごたえのある滝を横目に見ながら飛石を渡ると「四阿」の対岸の位置にあたる「休憩所」があります。
長生庵(ちょうせいあん)は、明治・大正時代の茶道武者小路千家(むしゃこうじせんけ)の宗匠(そうしょう)である三代木津宗詮(きづそうせん)が設計しました。
三代木津宗詮は多くの茶室の設計に携わっており、例えば四天王寺本坊庭園とその茶室や、大宮御所の茶室である秋泉亭(しゅうせんてい)などを手掛けた人物です。
八畳の広間と二畳台目(にじょうだいめ:丸畳二畳と台目畳一畳の茶室)の小間で構成されている茶室で、予約をすれば誰でも借りることができるので、茶会や句会のほか、結婚式の記念撮影などで使う方もいるそうです。
やかん、かま、風炉(ふろ)などの備品も無料で借りることができます。
1958年(昭和33年)に、住友家の分家である都島の旧藤田家から移築されたもので、こちらは出口専用となっています。
立派な瓦葺の切妻屋根を持ち、入り口である南門よりも存在感漂う門です。
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