初詣は氏神、またはその年の恵方にある神社に参るのが一般的とされています。
2015年の恵方は 西南西、淡路を訪れた。
恵方とは、年(干支)に基づいて縁起がよいとして定められた方角の事。
恵方にはその年の福を司る神様「年徳神(としとくじん)」がいると考えられており、たたり神が巡ってこない方角とも言われています。
神橋の向こうに正門が見える。
伊弉諾神宮は、古事記・日本書紀の冒頭にその創祀を記し、神代の昔に伊弉諾大神 が、御子神の天照皇大御神に統合の権限を委ね、淡路の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過された神宅の旧跡と伝えられています。
表神門、1883年(明治16年)に随神門を現在の様式に改めた。
伊弉諾尊と伊弉冉尊の2神が国産み・神産みを行ったのであり、『延喜式神名帳』所載の座数に関係なく2神が祭祀されるべきであるが、明治3年(1870年)に名東県より伊弉諾尊1柱とされた。
これは摂社末社が公認されるのに不当である。
1930年(昭和5年)本殿を開くと伊弉冉尊も伝来のまま祭祀されていたので、資料を添えて願い奉るとの内容で伊弉諾尊と伊弉冉尊の2神を祀る許可を求めたところ、1932年(昭和7年)内務大臣より「請祭神を配祀として増加の件聴届く」と許可があり、正式に2神を祀る形になった。
地元では日本第一番の宮であることから「いっくさん」とも呼ばれます。
神宮の境内には、太陽の運行図として、このことを紹介する「陽の道しるべ」というモニュメントが建っています。
神宮の真東には飛鳥藤原京、さらに伊勢皇大神宮(内宮)が位置しており、春分秋分には同緯度にある伊勢から太陽が昇り、対馬の海神(わたつみ)神社に沈みます。
そして夏至には信濃の諏訪大社から出雲大社、冬至には熊野那智大社から高千穂神社へと太陽が運行します。
伊弉諾神宮を中心にして、まるで計算されたように、東西南北には縁ある神社が配置されていることは実に不思議ですとの説明があった。
放生の神池、幽宮跡の御陵を中心にあったとされる濠の遺構とされる。
命乞いに鯉、快癒の報賽に亀を放って祈願する。
「夫婦楠」境内には、イザナギ・イザナミの二神が宿る御神木として、夫婦円満、安産子授、縁結びなどの御利益があると信仰されている樹齢約900年の夫婦大楠があります。
頭髪感謝之碑、「髪」は「神」に通ずるということで、霊魂の宿るものとして神聖化されてきたというが少しこじつけが過ぎませんか。
伊勢神宮遥拝所。
拝殿、銅板葺入母屋造で、舞殿を兼ねる。
この日は会社関係の初での日に当たり、会社の代表の方がたくさんお参りでした。
本殿 幽宮(かくりのみや)
本殿は三間社流造で、幣殿と屋根で連結される。
1882年(明治15年)に禁足地であった御陵の上に建てられた。
住吉神社 ご祭神 住吉三前神
鹿島神社 ご祭神 武甕槌神 経津主神
農業(稲作)守護と武運の長久を祈願して祀られた。
田植祭では神事がある。
左右神社(さのうじんじゃ)
御祭神は、天照皇大御神 月読尊
伊弉諾大神の左目と右目から出現された貴神をお祀りされています。
眼病治癒の信仰があるという。
神輿庫及び東西の御門は、旧幕時代の阿波藩主の寄進。
香木伝来記念碑、神宮境内には香木伝来を記念して建てられた石碑が建てられています。
日本書記には「推古天皇三年夏四月淡路島に沈水(ぢん)という香木が初めて漂着した。
島人がそれをかまどに入れて薪とともに燃やしたところその煙が遠くまで香りが届き、そのことを不思議に思った島人は朝廷にこの木を献上した。」
と香木が初めて淡路の地に伝来した旨が記されていることから、香木伝来から1400年経った平成七年に香り文化の更なる発展を願って建てられてもの。
伊弉諾神社へのアクセス、行き方歩き方
兵庫県淡路市多賀740
バス:高速バスで「郡家」または「津名一宮IC」または「津名港」バス停下車、淡路交通西浦線に乗り換えて「伊弉諾神宮前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)