現在の宗教法人としての名称は滝尻王子宮十郷神社(たきじりおうじぐうとうごうじんじゃ)。
前身は九十九王子の滝尻王子で、五体王子の一つに数えられた(『熊野権現蔵王宝殿造功日記』)。
国の史跡「熊野参詣道」(2000年〈平成12年〉11月2日指定)の一部である。
現在は天照皇大神、日子火能迩々芸命、天忍穂耳命、日子穂々手見命、鵜茅葺不合命の5柱を祀るが、『熊野縁起』(正中元年〈1326年〉、仁和寺蔵)によれば九十九王子の一であった時代には不空羂索菩薩を本地としていた。
滝尻王子は熊野の神域への入り口として古くから重んじられ、『中右記』には「初めて御山の内に入る」との添書きがあるだけでなく、『源平盛衰記』にも同じ趣旨の記述を見出すことができる。
中世熊野詣の頃には宿所があったともいわれ、藤原定家の「熊野道之間愚記」(『明月記』所収)建仁元年(1201年)10月13日条や藤原経光の参詣記(『民経記』所収、寛喜元年〈1229年〉)にそれを示唆する記述があるが、詳細は定かではない。
滝尻王子からはいきなり急坂が始まります。胎内くぐり、乳岩、不寝王子を経て「剣ノ山経塚跡」までは激しい登りが続きます。
滝尻の上の山中にはいくつかの磐座があり、入り口近くにもこのような大岩を咥えこんだ気が見られた。
参詣者が初めて岩田川に出会う稲葉根王子から滝尻王子まで、参詣者は何度となく岩田川を徒渉しなければならず、一種の難所であった。
「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条で、この間の道中について、幾度も川を渡り山を越さなければならないと述べると同時に、紅葉が川面に映るさまを見事であると讃えている。
滝尻王子に至った参詣者たちは、奉幣を行い、王子の目の前の流れに身を浸して垢離の儀礼を行った。
滝尻王子における垢離について、鎌倉時代初期以降成立の寺社縁起『諸山縁起』は、右の川は観音を念ずる水、左の川は病を除く薬の水 — 『諸山縁起』とし、さらに前出の『熊野縁起』は、滝尻両方河ニ橋ヨリ上ニハ千手浄土御坐。又丑寅ヨリ流タル河ニハ薬師浄土御坐ス。彼水ハ偏其浄刹ヨリ落智水ナリ。是以テ無始無終罪滅ス。
— 『熊野縁起』
と述べて、観音菩薩の補陀落浄土から流れてくる岩田川の水と、薬師如来の浄瑠璃浄土から落ちてくる石船川の水で沐浴することで罪が滅される、と滝尻での垢離の意義が説かれている。
帰路「道の駅 熊野古道中辺路」でトイレ休憩。
花山法皇の伝説を残す牛馬童子像(モニュメント)。
ただいま16時19分、日暮れも間もなくです、前方の山に次の王子を目指す一行があった。
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