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本町橋は現役の橋としては、大阪市内最古の橋である。
大坂の陣(特に冬の陣)の時は、戦略上の重要地点であったとされ、橋周辺で蜂須賀隊と塙直之が激突している。
江戸時代になると、公儀橋として幕府による直接管理・維持がなされた。
東詰に油問屋が集まり、西詰に木綿問屋・呉服・古着屋が軒を連ね、大坂で最も賑わう地域とされた。
享保9年(1724年)の「妙知焼け」と呼ばれる大火で本町橋をはじめ、いくつもの橋が焼失している。
大火後、橋の北東側に西町奉行所が移転してきた。
江戸時代のころの東横堀川の幅は現在よりも広く、本町橋も橋長が47.8mあったという。
幅員は最初7.8mで、江戸時代後期には5.9mと幾分狭くなった。
明治維新後、年代は特定されていないが、明治14年(1881年)までに鉄柱を持つ木橋に架け替えられた。
当時は鉄橋はおろか、鉄柱木橋も貴重な存在であった。
20世紀以降の大阪市電の敷設、都市計画事業による道路拡張にあわせて本町橋も大正2年(1913年)に鉄橋に架け替えられた。
三径間の2ヒンジアーチ橋で、下部は広くし、橋脚には石柱を模した飾りが付き、その上部はバルコニーとなっている。
この橋は昭和57年(1982年)に大がかりな補修がされたが現役である。
橋長:46.5m
幅員:21.6m
形式:鋼アーチ(三径間2ヒンジアーチ)
完成:1913年(大正2年)
2009年に「大阪市内で最古の橋」として土木学会選奨土木遺産に選ばれる。
壁面を七福神がカヌーを漕いで登っていくのが印象的なビル。
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