善光寺の御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれている。
前回訪問時の記事:牛に引かれて善光寺参り
仏像は、崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられる。
それを本田善光が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642年)現在の地に遷座。
皇極天皇三年(644年)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられたという。
この老木何の木なのか、やけに赤い紅葉が目を引く。
表参道の石畳は7777枚あると言われていて、大部分は当初のままで、これだけの規模を持つ近代以前の敷石参道は希だそうだ。
敷石には伝説があり、善光寺の本堂が完成したばかりのころ、自分の息子と気付かず殺めてしまった伊勢の石屋が巡礼の途中に善光寺にやって来て、参拝者のために境内入口から三門下までの石畳を寄進し、その後も子孫が敷石の修理をしていたそうです。
六地蔵と八百屋お七のぬれ仏、背後の紅葉が美しい。
地獄界のお地蔵さんは、一刻も早く救おうと、片足が前に出てます。
明暦の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという伝承が伝えられているため、俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれている。
善光寺の境内の隅に聖徳太子の碑があるが注意して見ないと見逃してしまいそう。
法隆寺に保管されている聖徳太子と善光寺如来の往復書簡
奈良の法隆寺の寺宝に「聖徳太子の御文箱」と呼ばれているものがあります。
その中には信州の善光寺如来が聖徳太子に宛てた手紙が入っていると伝えられてきました。
X線撮影でも三通の文書の存在が確かめられています。
封印されていますので、誰も読んだ人はいないはずでした。
ところが、明治政府の強引な調査(明治五年)により開封され、そのうちの一通だけ写しが国立東京博物館に存在します。
その文面は次のようなものです。
「一念構揚無息留何況七日大功徳我待衆生心無間汝能濱度山豆不護二月廿五日勝髪調御」
最後の「勝髪」とは聖徳太子のこととされています。
他の二通は写しがありません。
また、法隆寺の方針として、未来永劫にわたって開封しないことが決められていますので、今後も見ることはできません。
これを巡って様々な説が唱えられねネットをにぎわしているが、法隆寺も、善光寺も開封しないと言っているので謎は簡単に解けそうにありません。
善光寺へのアクセス、行き方歩き方
住所:長野県長野市元善町491
電話:026-234-3591
JR長野駅→善光寺大門、所要時間約15分、運賃150円
善光寺大門のバス停から善光寺本堂までは、徒歩5分程度。
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