南蛮文化のふるさと 平戸の散策

九州

平戸は旧平戸藩松浦氏の城下町で、鎖国前は中国やポルトガル、オランダなどとの国際貿易港だった。

また、日本本土から乗用車のみ(他の交通機関を使わずに)で行き来出来る自治体として最西端でもある。

幸橋は別名オランダ橋と言われ、平戸藩主雄香公が平戸の石工達に造らせたものである。

平戸がオランダとの貿易港として栄えた頃の石造り技術を継承した ものとして重要な遺構であり、国の重要文化財の指定を受けている。

王直の道
後期倭寇の頭目王直の屋敷跡があることからそう呼ばれる。

王直の居宅跡
王直または汪直(おうちょく、生年不詳 – 嘉靖38年(1559年)12月25日)は中国、明代の貿易商人(海商)で、後期倭寇の頭目。
五峰、老船主と称した。

市街地から登る途中で手前の光明寺及び瑞雲寺と重なって見える様は「寺院と教会の見える風景」として平戸を象徴する情景の一つとなっている。

「寺院と教会の見える風景」、平戸は坂の多い街だ。

聖フランシスコ・ザビエル記念教会
正式にはカトリック平戸教会。

カトリック長崎大司教区の平戸地区(平戸市・松浦市・佐世保市江迎町)における主管教会となっている。
教会は平戸市中心街の西側高台にある。

教会堂内部。

教会のある場所からも平戸城は見える。

教会坂。

この辺りはかつて武家屋敷の並んでいた通りという。

大蘇鉄
オランダ、イギリスとの貿易華やかな頃、延命町(今の浦の町)は、川崎屋助右衛門、半田五右衛門、伊藤謀等の貿易商が軒を並べて、平戸一番の賑わいを見せていた所であった。

この浦の町裏通り天満宮登り口に、大きく枝を四方に伸ばしている老ソテツは、川崎屋全盛時代に植えられたものといわれている。

六角井戸
六角形をした井戸は日本では珍しく、王直たち中国人密貿易商が平戸を拠点に活動していた頃に造成されたものと考えられています。

松浦史料博物館(まつらしりょうはくぶつかん)は長崎県平戸市にある旧平戸藩主松浦家と平戸の歴史に関する史料を収蔵した長崎県の登録博物館。

運営は、公益財団法人松浦史料博物館。
建物は「旧松浦家住宅」として長崎県指定有形文化財となっている。

狂獅子図屏風
伝狩野探幽作として松浦家に伝わる。
東京浅草邸において大正天皇の題覧に供した。

茶室「閑雲亭」。

館内から平戸港を挟んで対岸に平戸城を望む。
それにしても、真ん中の大きな赤い屋根は艶消しだ。
平戸文化センターだというが文化の名が泣く、建てさせた方もデザインした方も美的感覚がどうかしている。

平戸市出身の詩人、藤浦洸の歌碑。

平戸温泉、うで湯とあし湯。

本日の昼は旗松亭でいただいた。

昭和 44 年 8 月、長崎国体の天皇陛下行幸にあたり平戸にご宿泊となられたが、天皇皇后両陛下をお迎えするホテルとして建設された。

「旗松亭」の名前の由来は松浦藩のお茶室の名前(旗松亭)を頂戴して名づけられたという。

いただいた鯛茶漬けは鯛の刺身と正油ベースのたれと共に、お茶をかけていただくものでなかなかのものであった。

皇室関連の来訪者の名前が玄関前にある。

この場所から聖フランシスコ・ザビエル記念教会がよく見える。

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