開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。
日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ。
南禅寺の復興が進んだのは、江戸時代になって慶長10年(1605年)以心崇伝が入寺してから。
崇伝は徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わり、「黒衣の宰相」と呼ばれた政治家でもあった。
また、幕府から「僧録」という地位を与えられた。これは日本全国の臨済宗の寺院を統括する役職である。
天井には今尾景年画伯畢生の大作と云われる幡龍が描かれている。
奥に少し気味の悪そうな像が見える。
奥にはには寒山拾得像という像がある。
奇行が多く、その生き方が神秘的であることから数々の伝説があり、絵画の題材にも好まれ名品が残されている。
明るく子供のようでありながら、風狂に徹した二人に対する人々の親しみと畏れがあらわされたユーモラスで少し不気味な表情で描かれることが多い。
経巻を開いているのが寒山で指をさしているのが拾得
森鴎外、芥川龍之介、井伏鱒二が「寒山拾得」について書いている。
南禅寺方丈庭園は小堀遠州作と伝えられ、江戸時代初期の代表的枯山水庭園。
巨大な石を横に寝かして配置する手法は、須弥山・蓬莱山などの仏教的世界観などを表現した庭園から脱した構成であり、俗に「虎の子渡し」の庭と呼ばれています。昭和26年に国指定の名勝となりました
竜の杉戸絵。
国宝である小方丈の西側に作られた庭園で、別名「如心庭(にょしんてい)」といい、その名の如く、心字形に庭石を配置した枯山水の石庭となっている。
庭石の配置については、『心を表現せよ』と当時の南禅寺管長であられた柴山全慶(しばやまぜんけい)老師が自ら熱心に指導されたとのこと。
小方丈からさらに奥に進むと「六道庭」に行き当たる。
「如心庭(にょしんてい)」が解脱した心の庭であるのに対し、この「六道庭」は、六道輪廻(りんね)の戒めの庭になります。
六道輪廻とは、天界、人間界、修羅の世界、畜生界、餓鬼界、地獄界の六つの世界を我々は生まれ変わり続けるという仏教の世界観をいいます。
一面の杉苔の中に配石された景石を眺めていると、煩悩に迷い、涅槃(ねはん)の境地に達することなく六道を輪廻する我々凡夫(ぼんぶ)のはかなさを想います。
京都南禅寺の大硯。岐阜県産の大理石「紅縞」でできたとある。
南禅寺垣
竹と萩という違う素材を組み合わせた竹垣。
竹のもつ力強さ、萩のもつ柔らかなやさしさがうまく調和し見るものを引きつけます。
沢山の庭を巡ったが最後が還源庭。
こちらで抹茶をいただける、陽が射しこみのどかな風情。
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