称念寺東方斜め筋向かいの御堂筋北側に面する中規模な民家。
切妻造、本瓦葺、平入りで、道に面した側面は白壁、下部板壁となっています。
屋号を「米彦」といい、米屋を営んでいた。
建築年は分からないものの、1748年(寛延元年)の絵図に描かれていることから、当時すでに住居を構えていたことがわかる。
1761年(宝暦11年)には南町組頭を務めていた。
17世紀に建てられた今西家や豊田家では板戸を引き込む形式になっているが、18世紀以降の家には、板戸を上にすり上げる形式のものがよく使われた。
これは戸を上下二枚に分けて、柱の溝に沿って上げる手法で、間口が狭い場合でも巾いっぱいの開口にすることができ、上戸を横猿でとめれば厳重な戸締りが可能である。
中央に撤去可能な方立柱をっ立てて、すりあげ戸をはめ、一枚の戸にくくり戸がついている。
この住宅は、18世紀末の建築とみられ、19世紀初期頃正面のみ、つし2階を増設した切妻造本瓦葺の商家で、修理の際一口のカマド跡も発見された。
19世紀前半頃に正面上部に低い「つし2階」が増築された。
厨子二階、「つしにかい」と読む。
または「中二階」とも呼ばれる。江戸~明治にかけて建てられた古い様式。
ミセノマの真上にあたる部屋の天井が低いことが特徴で、昔は主に物置や使用人の寝泊まりに使われていた。
2階には開口部として虫籠窓を伴うことが多い。
内部は、西側を土間、東側に六室をとっている。
当家はかなり早い時期の一般的持家層の好例といえよう。
称念寺の斜め筋向かいに面し、18世紀以降の文書を比較的多く所蔵し、天保から嘉永にかけて、称念寺に経料を納めた記録もあり、幕末には繁栄していたことが知られている。
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