関ヶ原の戦いの戦功により、小浜に近江大津6万石を領し大津城主であった京極高次が若狭一国を与えられ若狭小浜8万5,000石で入る。
先ず、天守閣跡に上る。
天守台跡を望む。
ご覧の通りすぐ近くまで民家が迫り石垣の撮影が極めて困難だ。
状況は分かっていたので秘密兵器を持参、超広角8㎜レンズ、お蔭で至近距離からの撮影も無理なくこなせた。
小天守跡。
江戸時代初期に、京極氏によって後瀬山城にかえて、海と河川を取り込んで築かれた海城である。
1601年、京極高次の代に着工され、京極氏2代にわたって普請工事が行われたが、完成を見ずして京極氏は出雲国松江に加増転封された。
西櫓跡。
替わって入封した酒井氏が二条城の様式を取り入れるなど、大幅に城の縄張を変更し、本丸天守を造営。
その8年後の1642年に小浜城は竣工した。
以降、若狭酒井氏の居城として明治を迎えた。
一旦 本丸内の西側へ戻る。
絵図によると当時はなかった通路のようだが、石垣の一部が切られておりそこから外へ出られるようなので、出てみる。
左側は小天守、右側は西櫓。
明治時代に大阪鎮台の第一分営が置かれたが、失火によって大部分の建物を焼失し残存していた天守も撤去されている。
本丸石垣を望む。
この場所からのこの画角は超広角でないと無理。
北川の河川拡張などにより現在は本丸以外は河川や住宅街となり、城の遺構としては本丸部分の外周石垣を残すのみである。
完全に民家にブロックされているが超広角レンズで難なくクリア、ひずみもそう気にならない。
1875年(明治8年)に本丸跡に藩祖である酒井忠勝を祀る小浜神社が建立された。
小浜城へのアクセス、行きかた歩き方
福井県小浜市城内1-7-55
0770-52-1920
JR小浜線、小浜駅下車、徒歩15分
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