始皇帝と兵馬俑展を見ようと福岡まで出かけた。
展示は撮影禁止でお見せできないのが残念だが約2200年前のものと思えない内容に感激。
九州国立博物館は、大宰府天満宮の敷地の裏にあります。
是非、博物館を見た後は大宰府天満宮にもお参りをしてみて下さい。
太宰府天満宮とは動く歩道で繋がっている。
100年以上の歴史を有する東京・京都・奈良の3つの国立博物館が美術系博物館であるのに対して、九州国立博物館は歴史系博物館として設立された。
日本の国立文化財機構が運営する国立博物館の中で最大の敷地面積と、1つの建物としては30,085m2と最大の延床面積を持つ博物館であり、開館当時はこのことが話題となった。
ただし東京国立博物館のメインとなる5つの展示館の合計延床面積60,420m2には大きく届かない。また国立文化財機構運営ではないが、国立歴史民俗博物館の延床面積の方が35,548m2、国立民族学博物館の延床面積の方が51,225m2と大きい。
日本において国立文化財機構が運営する「国立博物館」を称する博物館としては1897年設立の京都国立博物館以来、108年ぶりの新設。
九州が日本におけるアジア文化との交流の重要な窓口であった歴史的かつ地理的背景を踏まえ「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える博物館」を基本理念に、旧石器時代から近世末期(開国)までの日本の文化の形成について展示している。
展示室は撮影禁止で唯一入り口にある展示が撮影できるだけ。
兵馬俑(へいばよう)は1974年にこの地域の住民が井戸を掘ろうとして土を掘っていた際に偶然発見された。
俑とは古代中国で、殉死者の代わりに埋葬した人形のこと。
兵士の像高は冠や髷を含めて190センチほどあり、顔の作りは1体ずつ異なっています。
このことから、実在したある軍団の兵士ひとりひとりをモデルにしたとする説が有力視されています。
どの俑も頭髪や服のしわといった細部まで、極めて写実的に作りこまれています。
ある軍団を丸ごとやきものの像に写した兵馬俑のかたちには、階級の上下や、歩兵・騎兵といった役割の違いまで表わされています。
『敵国のある東を向き、整然と隊列を組んで並ぶ兵士俑はほぼ等身大。
表情、髪形、衣服のどれひとつとして同じ形のものはなく、始皇帝の軍団が広範な民族の混成部隊であったことを窺わせます。
当初は鮮やかに彩色されていた俑。
「跪射俑(きしゃよう)」鋭い眼光の射手。
手には弓を抱えていたと思われる。
始皇帝の波乱に満ちた生涯は歴史書『史記』に見ることができるものの、記載がないものも多い。
この「兵馬俑」もそのひとつで、今後、さらに発掘調査が進むことで始皇帝の謎が解き明かされることが期待されている。
この画像以下の三枚の画像は友人から借りた書籍より転載したものです。
始皇帝陵の西面、墳丘に寄り添うように築かれた地下坑から、2輛の銅車馬が出土。
始皇帝の霊魂を載せた車とその先導役の車であると考えられています。
始皇帝の霊魂を載せた車。
発掘時の状態。
8000体ともいわれる兵馬俑は、基本的に等身大。
顔の表情はどれも異なり、現実世界をそのままに引き写そうという徹底ぶりのほか、始皇帝が、死後もなお皇帝であり続けようとしたことがうかがえます。
兵馬俑こそは始皇帝の永遠なる夢を体現したものといえるでしょう。
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九州国立博物館へのアクセス、行き方歩き方
福岡県太宰府市 石坂4丁目7-2
050-5542-8600
西鉄太宰府線太宰府駅より徒歩15分。
太宰府天満宮より徒歩10分。(「虹のトンネル(連絡通路)」経由)
JR鹿児島本線二日市駅より西鉄バス二日市(1-2)太宰府ゆきに乗車、九州国立博物館前バス停より徒歩3分。
西鉄太宰府線西鉄五条駅より西鉄バス二日市原営業所行きに乗車、九州国立博物館前バス停より徒歩3分。