宇治上神社(うじがみじんじゃ/うじかみじんじゃ)は、式内社で、旧社格は村社。
隣接する宇治神社とは対をなす。
ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。
鳥居から奥の参道、緑いっぱいのトンネル、涼風が吹き渡る。
創建年代などの起源は明らかではない。宇治上神社のすぐ近くには宇治神社があるが(位置)、宇治上神社とは二社一体の存在であった。
宇治上神社の境内は『山城国風土記』に見える菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」の旧跡であると伝え、両社旧称の「離宮明神」もそれに因むといわれる。
拝殿前には上賀茂神社などと同じような形で、円錐形のお山(立砂、又は盛砂と言う)が二つ盛られています。
ただし、宇治上神社のお山は上賀茂神社のものと同じ意味ではありません。
上賀茂神社の立砂は、神社の北の方にある神山に見立てた神の依代よりしろですが、こちらは「清め砂」です。
9月1日に行われる八朔祭はっさくさいの時に氏子さんたちによって奉納された、境内のお清めのためのお砂です。
盛られたお砂は1年間盛られ続け、その後はお正月やお祭りの時に境内にまき散らし、境内を清めるのだそうです。
拝殿横の授与所では、自宅用の清め砂も販売されています。
本殿は1060年頃のものとされて「現存最古の神社建築」であることが裏付けられた。
また、1052年創建の平等院との深い関連性が指摘されている。
左殿:菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと) 『日本書紀』では「菟道稚郎子」、『古事記』では「宇遅之和紀郎子」と表記される。応神天皇皇子。天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる。
中殿:応神天皇 第15代天皇。菟道稚郎子命の父。
右殿:仁徳天皇 第16代天皇。菟道稚郎子命の異母兄。
本殿から見た拝殿。
本殿前に建てられている拝殿は鎌倉時代前期の造営で、寝殿造の遺構といわれる。切妻造、檜皮葺き。桁行6間、梁間3間の主要部の左右に各1間の庇を付す。
桁行6間のうち、向かって左端の1間は柱間が狭く、隣接する庇部分とともに閉鎖的な1室を構成する。
また境内には「桐原水」と称される湧き水があり、「宇治七名水」のうちでは唯一現存するものになる。
幹周/4. 8m、樹高/27m、樹齢/300年とケヤキの前に立つ宇治市名木100選の立て札にあります。
本殿東のパワースポットは、「天降石」や「岩神さん」と呼ばれる巨石。
この上に小石を乗せて、落ちなければ願いが叶うと言われており、参拝客が満願成就を願って乗せていった小石が積まれています。
かつて古神道では、磐境信仰(いわさかしんこう)というものがあり、岩を祀っていました。
宇治上神社のこの巨石も、磐境信仰によるものではないかという説もあります。
春日社 祭神:建甕槌命、天児屋根命
社殿は一間社流造で、檜皮葺。
鎌倉時代後期の造営とされ、国の重要文化財に指定されている。
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