入口から向かって左に日前神宮、右に國懸神宮がある。和歌山市内にある当社と竈山神社、伊太祁曽神社に参詣することを「三社参り」と言う。
1つの境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社があり、総称して日前宮(にちぜんぐう)あるいは名草宮とも呼ばれる。
両社とも式内社(名神大)、紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。
現在は神社本庁に属さない単立神社。
神体の鏡について
神体の鏡はいずれも伊勢神宮内宮の神宝である八咫鏡と同等のものとされる。
八咫鏡は伊勢神宮で天照大神の神体とされていることから、日前宮・國懸宮の神はそれだけ重要な神とされ準皇祖神の扱いをうけていた。
日神(天照大神)に対する日前神という名称からも、特別な神であると考えられている。
また、伊勢国が大和国への東の出口に対して、当社は西の出口にあるため、伊勢神宮とほぼ同等の力を持っていたといわれている。
日前神宮
主祭神
日前大神 (ひのくまのおおかみ)
日像鏡(ひがたのかがみ)を神体とする。
相殿神
思兼命(おもいかねのみこと)
石凝姥命(いしこりどめのみこと)
神階について
日前神宮の祭神である日前大神は天照大神の別名でもあり、朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇した。
神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前・國懸両神宮しかなかった。
なお、日前大神が天照大神の別名とされることについては諸説がある。
日本で最も歴史のある神社の一つで、神話と関わりが深い。
『日本書紀』に、天照大神が岩戸隠れした際、石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した鏡が日前宮に祀られているとの記述がある。
社伝によれば、神武東征の後の神武天皇2年、紀国造家(紀氏)の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の神体としたとしている。
当初は名草郡毛見郷浜宮に祀られ、垂仁天皇16年に現在地に遷座したと伝えられている。
なお、伊太祁??曽神社の社伝では、元々この地に伊太祁??曽神社があったが、紀伊国における国譲りの結果、日前神・国懸神が土地を手に入れ、伊太祁曽神社は現在地に遷座したとしている。
また、日前・國懸両神宮の遷宮前の旧社地には浜宮神社が鎮座している。
國懸神宮
主祭神
國懸大神 (くにかかすのおおかみ)
日矛鏡(ひぼこのかがみ)を神体とする。
相殿神
玉祖命(たまのやのみこと)
明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)
鈿女命(うづめのみこと)
天正13年(1585年)に豊臣秀吉に攻め込まれ、社領が没収された。
その際社殿が取り壊され境内が荒廃したが、江戸時代に紀州藩初代藩主徳川頼宣により社殿が再興された。
しかし現在は最盛期の5分の1の広さになっており、社殿や施設などは往時を忍ぶに及ばない。
さらに1919年(大正8年)には国費による改善工事によって境内の建物はすべて一新されており、旧観は大きく変化している。
1926年(大正15年)3月の工事完成をもって現在の左右対称の姿となった。
1871年(明治4年)、近代社格制度において両宮ともに官幣大社に列せられた。
現在は神社本庁などの包括宗教法人に属さない単立神社となっている。
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