パークスガーデンという、緑豊かな空中庭園となっています。
その一角に、「南海ホークスメモリアルギャラリー」という全面ガラス張りの施設があります。
選手名鑑、ここには野村克也の画像は見られない。
それどころか球団史にも名前はない。
野村が三冠王に輝いた1965年は、年表には、「シーズン後、鶴岡(一人)監督辞意表明も蔭山(和夫)新監督急逝で復帰」とあるだけだ。
野村克也は1977年シーズン終盤に監督を解任され、チームを追われた。
南海最後の監督・杉浦忠氏のユニフォームと門田博光・山本和範(カズ山本)・定岡智秋3氏のバット。
周辺の公園風のスペースには「なんば」にゆかりの人物の手形が展示されているが、ここにも野村のものはない。
これは野村克也サイドが、強く拒絶したからだと言われる。
南海電鉄側と応対した野村沙知代夫人は、その著書によれば、文物の提供だけでなく年表への記載も即時に断ったうえで「20数年ぶりで、やっとあなたたちにカタキが取れます」と言ったという。
野村克也も同調した。
なんばパークス・2Fにあるピッチャーのプレートのレリーフ。
同じ場所にあるホームベースのレリーフ。
上から1950-1998、大阪球場、そして鳥をかたどったマークがあり、英語でHawksとあります。
野村克也、沙知代夫妻が逝去した今、恩讐をこえて、すべての野球ファン、とりわけホークスファンのために、「南海ホークスメモリアルギャラリー」に野村克也の記録を残そうと昨年2月11日に84歳で死去した野村克也さんの遺品などを、「南海ホークスメモリアルギャラリー」をリニューアルして新たに展示する「おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に。」プロジェクトが、正式にスタート。
発起人の南海OB江本孟紀氏(73)が「野村さんのいないホークスの歴史は考えられない」と立ち上がった。
メモリアルギャラリーは2021年2月14日(日)に新しく生まれ変わります。
栄光と挫折の日々を送ったノムさんもやっと古巣へ帰れます。
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