ツツジと黄ショウブと 九品寺の春

奈良県

九品寺はサンスクリット語で、その意味は布教でいう上品・中品・下品で、人間の品格をあらわしている。

上品の中にも上中下があって中品や下品にもそれぞれ上中下があります。
全部で九つの品があるので九品と名づけられています。

振返れば葛城金剛の山並みが美しい。

葛城襲津彦(かつらぎのそつひきこ)の娘で仁徳天皇の皇后だった磐之媛(いわのひめ)は、夫の浮気に愛想を尽かして難波の宮を出ると、木津川から奈良山あたりをさまよい、故郷の葛城を望んで歌を詠んだ。そ

の歌が『古事記』や『日本書紀』に記載されて残っている。

彼女の歌の中に「わが見が欲し国は 葛城高宮 吾家のあたり」という一節がある。

磐之媛が生まれ育った我が家というのは、襲津彦の屋敷があった葛城高宮あたりを指すのであろう。
その高宮は九品寺からすこし南へ下ったところである。

若き日の磐之媛が日頃目にした大和盆地の景観も、一面に広がった市街地を原野に置き換えれば、おそらく現在と大して変わらなかったであろう。

白洲 正子のエッセイ 「かくれ里」に磐之媛皇后の歌とともに九品寺のことが書かれている。

参道の左側にある「十徳園」は平安時代の池泉回遊式の庭園。
黄ショウブが今を盛りと咲く。

花言葉は

幸せをつかむ
信じる者の幸福
私は燃えている、消息、友情

ツツジもきれいに咲いています。

この寺の創建年代等については不詳であるが、奈良時代の僧行基によって創建されたと伝えられる。

中世には御所城主楢原氏の菩提所であった。
永禄年間(1558年 – 1570年)観誉弘誓によって現在の浄土宗に改められた。

踏み迷う六ツのちまたの道変えて

いざ帰りなむ弥陀の浄土へ (道歌)

本堂の脇を通って裏山に続く道や、裏山のあちこちに仏教賛歌が緑の木札に記されている。
住職の優しい心遣いであろう。そのいくつかを拾ってみよう。

たちならぶ 仏の像(かたち) 今見えば みな苦しみに 耐えしみ姿 (今井邦子作)

われはただ 仏にいつか あおい草 心のつまに かけぬ日ぞなき (法然)

ホロホロと なく山どりの 声きけば、 父かとぞ思う 母かとぞ思う (伝行基作)

行けば釈迦 来いは弥陀 中はわれ 押され引かれて まいる極楽 (二河白道のたとえ)

わが心 いたくきづつき 帰り来ぬ うれいしや我に 母おはします (吉井勇作)

目は見えず 耳は聞こえず 手は無くとも 生きて帰れと 祈りしものを (道歌)

住む土地の 恵みを想う 心あり そこに住むべき 道はひらけむ (伊藤左千夫)

ありがたし 今日の一日も わが命 めぐみたまへり 天と地と人と (佐々木信綱)

千体仏 

その数は1600体とも1700体といわれていますが、現在も出土しておりその数は定かではありません。

石仏はどれひとつとして同じお顔はなく、今も、村人の厚い信仰心によって守られています。

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九品寺へのアクセス、行き方歩き方

住所:奈良県御所市楢原1188

近鉄御所線「近鉄御所駅」より、奈良交通バス葛城ロープウェイ前行き「くじら口」下車、徒歩25分