京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)を始めとする全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社と称する。
4月中旬から5月初旬にかけて500種2,200鉢以上の日本サクラソウが咲く。
阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)を主祭神とし、下照比売命・天稚彦命を配祀する。
古くは阿治須岐高日子根命と下照比売命の二柱を祀っていたものが、後に神話の影響を受けて、下照比売命の夫とされた天稚彦命、母とされた多紀理毘売命が加えられたものとみられている。
ただし、主祭神以外の祭神については異説が多い。
高鴨神社境内の宮池と浮舞台で奉納される雅楽と舞。
由緒ある高鴨神社の浮舞台と奉納雅楽が、宮池に満々と湛えられた水に映ります。
その様子は日本の神事の原点の水を通じて水面からも観ることが出来ます。
日本さくらそうは、江戸時代・寛文年間から栽培が始められ、元禄・享保・文化文政を経て、文化の発達に伴って益々その数を増すに至った。
純日本産の古典園芸植物です。その清楚、可憐、優雅な風姿はわれわれ日本人の国民性にピッタリの草花と云えましょう。
「わが国は草も桜を咲きにけり」という一茶の名句にもある通り、この花にとってまことにふさわしい名称です。
関東の浮間ヶ原や戸田ヶ原のほとりに数多く自生していたものを、江戸の文人墨客は盛んに出かけ、また荒川のほとり、鷹を追う江戸武士などが野外散策の折、家づとに持ち帰り鉢植として観賞され、将軍に献じることによってその名を高めたと言い伝えられております。
好事家の間で次々と品種改良がなされ、幾多の盛衰を重ね、この江戸文化の粋を誇る ”日本さくらそう” が今なお愛培され、その関心がますます昂まってまいりました。
当高鴨神社には、現存している殆どの品種約五百余種(二千数百株)が保存栽培され、高鴨神社のさくら草は昭和三十五年に宮司が京都の自邸より持ち運んで今日に至っています。
ちなみに、このさくら草は明治末期より父子二代に亘って蒐集愛培してきたものです。(神社説明文)
端午の節句、粽が売られていました。
日本ではもともとササではなくチガヤの葉で巻いて作られたためちまきと呼ばれる。
今からおよそ2300年前の中国に、屈原(くつげん)という詩人がおりました。
屈原は国王の側近として仕え、その正義感と国を思う強さで人々から大変慕われていましたが、陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。
その時の思いをうたった「離騒(りそう)」という長編叙事詩は中国文学の名作となりますが、国の行く末に失望した屈源は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまいました。
その日が5月5日。
屈原の死を悲しんだ国民達は、川に沈んだ屈源が魚に食べられてしまわないよう、小船の上から太鼓を叩いて魚をおどしたり、供物を投げ入れて弔いました。
ところが、せっかく川に捧げた供物も、屈原のもとに届く前に悪い龍に盗まれてしまいます。
そこで、龍が苦手にしている楝樹(れんじゅ)の葉っぱで餅米を包み、邪気を払う五色の糸で縛ってから川へ流すようにしたところ、無事に屈原のもとへ届くようになったそうです。
こうして粽が誕生し、5月5日に粽を作って災いを除ける風習が端午の節句となりました。
また、粽に結んだ赤・青・黄・白・黒の五色の糸は、子供が無事に育つようにとの魔よけの意味を込め、鯉のぼりの吹流しの色に反映されています。
短い石段を上がると拝殿が、その奥には室町時代の建築の「本殿(重文)」があります。
神の語源は賀茂(カモ)なのか。
高鴨神社の名前にもある「カモ」には不思議な霊力が宿ります。
そもそも「カモ」には様々な表記が見られます。
上賀茂神社などの「賀茂」、高鴨神社や鴨川、下鴨神社などの「鴨」、そして町名の「加茂」等々、その漢字表記は多岐に渡ります。
「カモ」という音の響きは、私たちが日常的に行う「噛む(かむ)」という動作にもつながっています。
噛むという言葉のルーツは醸む(かむ)に通じているのです。醸むとは?
醸む(かむ)は醸すの古語とされ、発酵させて酒を造ることを意味しています。
昔は、世界中で ”口噛み酒” が造られていたと言います。
穀物をよく噛んで唾液と混ぜ合わせ、それを吐き出します。
そうすると、唾液によってでんぷんがブドウ糖になり、やがて発酵が進んでアルコールが出来上がるのです。
日本においても口噛み酒は造られており、神に仕える巫女がその役目を担っていたと云います。
三輪山などを形容する際に使われる神奈備は「神ノ森」の意味であり、「カモ」は「神(カミ)」と同意の古代語であったのではないかと思われます。
酒の神様でもある大神神社は日本最古の神社とされます。
同じように、御所市鴨神に鎮座する高鴨神社も日本最古の神社の一つと言われています。
拝殿前の斎庭から鳥居、放生池が見えます、折からの新緑とあいまっていい雰囲気です。
鴨一族のことはじつのところよく分かっていない。
いつ、どこから大和の地に定住するようになったのかも明らかにされていない。
一説では弥生時代の中期ごろ、鴨一族の一部が大和平野の西端に位置する御所市に定住、稲作を始めたとされている。
高鴨神社の正確な創建の年代なども、もちろんわかっていない。
しかし、のちの蘇我氏や物部氏が鴨氏から出た一族なのではないかといわれるように、多くの豪族、貴族がこの高鴨神社を崇拝していたとされることから、飛鳥時代以前から存在していたと考えられている。
拝殿前の斎庭から宮池を見下ろします。
額縁構図がいいでしょう。
今居た拝殿の方を見上げます。
手摺りが波打っているのが見えます。
確かにこの方が、一直線の手摺りよりも安全への配慮がうかがえます。
デザイン的にもいいね。
八幡社、一言主社、猿田彦社、聖社などが木々に囲まれた参道沿いに祀られています。
多紀理毘売命を祀っています。
宗像三女神の一柱で『古事記』では多紀理毘売命、『日本書紀』では田心姫(たごりひめ)・田霧姫と表記される。
別名奥津島比売命(おきつしまひめ)だが、『日本書紀』第三の一書では市杵嶋姫(市寸島比売・いちきしまひめ)の別名としている。
お昼は「そば小舎」で。
高鴨神社の隣にある葛城の道歴史文化館で営業しています。
玄そば一本挽きにこだわっているそうです。
そば本来の持つ旨味と風味を逃がさずそのまま活かすことにこだわった昔ながらの石臼製粉方法です。
今ではあまり使われなくなった「玄そば一本挽き」ですがそばの旨味と栄養をたっぷりと蓄えた胚芽や薄皮を余すことなく挽き込んだ「一本挽き」にこだわったのはそばの持つ旨味風味、栄養を何よりも大切にしたいからです。
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高鴨神社へのアクセス、行き方歩き方
奈良県御所市鴨神1110
0745-66-0609
近鉄御所駅から五條バスセンター行きバス「風の森」下車、徒歩約20分