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大阪市立美術館の位置する茶臼山一帯は、もとは住友家の本邸のあった場所。
古くは大坂冬の陣で徳川家康が、夏の陣では真田幸村が陣を構えた場所としても知られるが、明治以降、住友15代家長の友純(春翠)が用地の買収を進め、大正4年(1915年)に本邸を移転、続いて大正7年には、近代庭園の第一人者、七代目小川治兵衛(植治)の手になる「慶沢園」も完成した。
ところが、大正10年、大阪市が美術館の計画を進めながら、用地の確保に難航しているとの話を耳にした春翠は、美術館を建設するのであればと、慶沢園を含む茶臼山一帯の土地1万坪あまりを大阪市に寄贈することを申し出る。
これにより、大阪市立美術館は建設着工に向けて動き出したのである。
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大阪市立美術館は1936年5月1日に開館。
2022年は86周年を迎えるとともに、秋から約3年間の大規模改修工事に入る予定。
長期の休館を前に、館蔵品による特別展を開催。
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当館は、関西の経済界で活躍した阿部房次郎が収集した中国書画、山口謙四郎による中国の石造彫刻・工芸などを中心に、国内屈指の中国美術コレクションを所蔵していることが特色。
このほか工芸・仏画・近世および近代絵画といった日本美術にも、中国との関わりを多彩に示す当館ならではの作品が揃います。
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江南春色図 呉歴(1632-1718)款 1巻 清時代 18-19世紀(部分)
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森川曽文《蝦蟇仙人図》明治時代
カエルを従えて妖術を使う中国の仙人・蝦蟇仙人がませんにんをダイナミックに描いた《蝦蟇仙人図》
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上海娘
島成園 《上海娘》 大正13年(1924)
本展のメインビジュアルでもある島成園《上海娘》は、成園が銀行員の夫の上海勤務に同行し、現地の女性をモデルにして描いたものなのだとか。
旗袍(チーパオ)と呼ばれる中国服をゆったりまとう若い娘。
日本のお盆にあたる中元節のハス形の提灯(ちょうちん)とろうそくが、異国情緒を演出する。
頬を染め、手元の蝋燭ろうそくをふと見つめる女性は何を思っているのでしょう……想像がかき立てられました。
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上海婦人 島成園
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福原五岳《唐美人図襖》 安永2年(1773)
中国宮廷の女性の暮らしを窺わせる《唐美人図襖》(部分)
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西王母 蒔絵 硯箱
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小川破笠《九貢象 象嵌 硯箱》江戸時代 18~19世紀
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石像 如来三尊像
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石像 如来三尊像
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石像 如来三尊像
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石像 如来坐像
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石像 菩薩交客象嵌
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石像 菩薩三尊像
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石像 如来立像頭部
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石像 菩薩立像頭部
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青銅 並坐人
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コンダオ沈潜引揚品
なにわの海の時空間で所蔵されていた沈没船資料約1、350点について、2013年の閉館に伴い当館に移管された。
このうち、展示品はベトナム南部ブンタウ沖のコンダオ群島周辺の海底で発見された沈没船の積み荷の一部。
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ベトナム国営のサルベージ会社などにより、1 9 9 0 ・ ・ 9 1 年に引揚け調査が行われ、4 8 , 2 8 8 点の陶磁器が全長約3 3 . 5 m の船体から回収された。
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引揚品には欧米向けの景徳鎮窯産の青花磁器が多く、福建系諸窯の青花磁器や白磁、宜興窯産の茶壷等もある。
沈没年代は1 6 9 0 年代頃と推定されており、引揚品の大半の製作年代も清時代初期・1 7 世紀末期と考えられている。
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