小谷城址は6年ぶりの訪問だ、画像は『江 姫たちの戦国』の放映を記念して建てられた記念碑。
中腹(番所跡)までの約4キロをシャトルバスで送迎してくれる。
紅葉真っ盛り。
前回の訪問時は小雨の中の登城だった。
小谷山上に築かれた近江の名城 小谷城
今回は小雨をついての登頂敢行だ。 右側の尾根筋を六防迄登り、清水谷を小谷城戦国歴 … 続きを読む →
当時より足の衰えを感じる。
天正元年(1572年)再び小谷城に侵攻した信長は虎御前山に築城し、小谷城が落城するまでの間、最前線の砦として利用された。
手前の北國脇往還は信長が、秀吉が長政が義景が駆け抜け、死闘を繰り返した道だ
御馬屋跡。
戦国大名浅井氏の居城であり、堅固な山城として知られたが、元亀・天正の騒乱の中で4年間織田信長に攻められ落城した。
その後、北近江の拠点は長浜城に移されたために廃城となった。
現在は土塁・曲輪などのほか、先駆的に取り入れられた石垣なども遺構として残っている。
国の史跡に指定されている。
首据石(くびすえいし)
馬洗池から少し登ったところにある。
天文2年(1533)初代亮政は六角氏との合戦の際家臣今井左衛門尉秀信が敵方に内通していたことを知り、見せしめのため秀信の首をここにさらしたことで有名な石。
黒鉄門跡。
桜の馬場跡の紅葉もきれいです。
桜の馬場跡。
大広間址
この城跡で最も大きい平地、家臣達を集めての会議などを行ったところ。
このすぐ後ろの一段高くなったところに城主がいた本丸址がある。
本丸跡、兵どもの戦いはどこへやら、美しい紅葉が・・・・・
織田、浅井の死闘
天下取りへの転換点 金ヶ崎城
南北朝、戦国期を通じ常に天下取りへの転換点となった金ヶ崎城址への訪問記。 金ヶ崎 … 続きを読む →
朝倉義景討伐を企てた織田信長が越前に攻め入ろうとした時、近江浅井氏裏切りの報が…。
朽木に信長遁走の跡を訪ねる
興聖寺はもともと現在の位置とは安曇川を挟んで反対側の上柏村指月谷にあったが、江戸 … 続きを読む →
興聖寺脇の渓流沿いの小径、朽木氏の闘争のための経路という。
信長もこの経路で脱出したようだ。
姉川の戦い
「姉川の戦い」という呼称は元々は徳川氏の呼び方であり、布陣した土地名から織田・浅 … 続きを読む →
午前6時頃に戦闘が始まる。
浅井方も姉川に向かってきて「火花を散らし戦ひければ、敵味方の分野は、伊勢をの海士の潜きして息つぎあへぬ風情なり(信長公記)」という激戦になったが、織田・徳川側が1,100余りを討ち取って勝利した。
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