熊野古道と醤油の街ノスタルジック散策

和歌山県
カレンダー
2024年10月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  


湯浅町は、熊野三山へと続く熊野古道の宿場町として栄え、熊野古道が唯一商店街を通る町としても知られています。

交通上重要な位置にあった湯浅は、近世に入り次第に商業都市として発展を遂げます。

その核をなしたのは、なんといっても醤油です。

鎌倉時代、中国の宋で修行を積んだ僧が伝えた「金山寺味噌」から生まれたのが、現在の日本の醤油の始まりと言われており、紀州湯浅は「醤油発祥の地」と知られています。

白壁の土蔵、格子戸や虫籠窓など、醤油醸造の伝統を感じる家並みが残る東西約400m、南北約280mの一帯は平成18年に文部科学省から、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

醤油醸造など商工業を中心に発展した町が今も地割を残し、近世から近代にかけての重厚な町並みが歴史的風致をよく残す貴重なものと認められたのです。

熊野古道へ向かう分岐点「立石(たていし)の道標」

熊野街道の遺跡として、町民によって大切に守られてきた「立石の道標」。

建立は天保9年(1838年)で、「すぐ(まっすぐ)熊野道」「きみゐでら(紀三井寺)」「いせかうや右(伊勢・高野山は右へ)」の彫文字を確かめられます。

斜め向かいに江戸後期の町家を改修した休憩所「立石茶屋」があり、軽食や名産品を販売しています。

中世には天皇や貴族などの貴賓層が中心であった熊野詣は、時代が下り街道が整備されていくと、庶民にも広がり人々の往来は一層盛んになった。

蟻のように大勢の人々が詣でる様を例えて、「蟻の熊野詣」という言葉もみられるほどである。

さらに、熊野詣だけではなく那智山青岸渡寺から始まる西国三十三所巡礼にも、この辺りでは熊野古道が使われるようになり、多くの人々が行き交っていた。

『湯浅おもちゃ博物館』は文化庁の委託事業として発足。

古民家の良さをできるだけ残し、おもちゃの展示や手にとって遊べる空間をつくり、子供から年配者までが楽しめる地区全体の交流拠点を目指しています。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、長期休館中です。

湯浅町は、紀伊半島西部にある広さ20平方キロメートルほどの町。

入江の奥に位置するこの町は、海路の便が良かったこともあり、古くから物流の中心地として栄えてきたほか、1800年代初頭にはなんと92軒もの醤油屋が営業していたという醤油醸造の町としても有名です。

ここには、平成18年に文部科学省から「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されたエリアがあり、いまでも江戸~明治時代の面影を残したままになっています。

近年では、醤油醸造の歴史に触れ、時代を感じられるその町並みが、観光スポットとしても注目されています。

Ⅰ.湯浅姓の由来

1: 湯浅姓は、地名から発祥したものと思われます。
この土地に、湯浅と名が付いたのは、中世の初め頃で、
今よりも海は、ずっと内陸まで入っていて、水がきれいで浅く、
入り江や中洲のある美しい所を意味します。
(他に法皇・上皇命名説など諸説あり)

2: 中世の平安時代末期に(西暦1140年頃)この地に湯浅宗重が湯浅党を旗揚げし、 それ以来300余年に渡りこの地は栄え、1450年頃、町は残りましたが、湯浅党は滅亡しました。 湯浅の主だった人々はその間に、あるいはその時に、全国にちって行ったのです。

3: 明治に近代国家が樹立され、住民の戸籍が整備された時、湯浅姓を名乗る人々が多く出ました。  現在全国に約12,000軒と推定されています。

民家の軒先の連子格子に蒸籠箱を利用した作品がディスプレイされた「せいろミュージアム」

辻行灯は、家屋や建具の古材を用いて津浦氏が自作しており、住民からの依頼にもとづいて設置している。

古い民家の残る通り。

湯浅の風情を短歌に詠んだ野口雨情。

ノスタルジーな路地。

路地から大通りを眺める。

崩れかけた白壁、とてもノスタルジックです。

津浦家(旧内伝麹店)

「内伝麹店」は、醤油や金山寺味噌の製造に欠かせない原料である麹の製造販売業を営んでいました。

主屋は近世後期の様式で、明治 11 年(1878)に建てられたことが判明しています。

岡正

鍛冶屋町通りと北町通りが接する角地に位置する。

建物はもと「京喜屋(きょうきや)」の屋号をもつ呉服店の一部であり、入居者が三代にわたり「岡正(おかしょう)」と称する酒店を営んでいた。

建築年代は江戸の終わりか明治前期頃で、主屋は北面し、切妻造平入(きりつまづくりひらいり)、本瓦葺とする。間口は六間あるが、西三間半と落棟(おちむね)の東二間半は構造的には分離している。

奥行きはわずか二間で、側面から見ると蔵のような外観となる。

あちこちに自転車が・・・・・

屋号“まるしち”で親しまれている鮮魚店。

湯浅湾で水揚げされたばかりの地魚や干物が並んでいます。

「えりすぐった魚でないと、お客さんに出されへんからね」ときっぱり。

隣のカフェに持ち込める「焼さば」は売り切れ御免。
午前中が勝負です!

戸津井家(戸津井醤油醸造場)

「戸津井醤油醸造場」は江戸文化年間創業の醤油醸造家でした。

創業時には、「竹屋(たけや)」の屋号を称していましたが、明治元年(1868)からは「丸竹(まるたけ)」と屋号を改めています。

主屋は昭和 11 年(1936)の建立で、湯浅の戦前期の建築の特徴をよく伝えています

ノスタルジックな路地散策、今日は雲がとても印象的です。

湯浅駅から歩いて10分ほどのところにある古民家風カフェ「北町茶屋いっぷく」。

旅の疲れを癒してくれる趣ある空間です。

新鮮なお刺身やうどん、カレーといった食事メニューのほか、ケーキやぜんざいなどのスイーツも揃っています。

散策で疲れた時の休憩にぴったりのお店です。

千山庵

1棟まるごと貸し切りの宿。

宿泊棟は「きたまち」に8人用と6人用。
「かじやまち」に10人用。

北町通りに面した築150年を超える古民家を改装した1日1組限定の宿。

土間や吹き抜け、天窓、低い天井など、当時の造りが残されており、湯浅の歴史や文化を感じながら、ゆったりとした時間を過ごせるのが魅力。

みやげ処 ふみよ

ここにしかないローカルなお土産が欲しいなら…

おけきの焼きもちを食べ歩きながら進んでいくと、次のおすすめスポット「 庵茶屋の和(いおりちゃやのわ)」が見えてきました。

こちらは手仕事のカトラリーとアクセサリー、焼き物や手芸品を販売するお店で、カフェも併設しています。

店内には店主自ら製作している木製のカトラリーやアクセサリー、地元の手芸作家さんが手掛けた作品が並びます。

販売されている作品の数々はどれも個性豊かで自由な表現力が目を引きます。

太田家(太田久助吟製)

「太田久助吟製」は、金山寺味噌を製造販売。

江戸時代には醤油醸造を営んでいましたが、戦後に金山寺味噌に業種変更しました。

かつての醤油蔵で昔ながらの金山寺味噌が作られています。

「北町ふれあいギャラリー」も湯浅駅から歩いて10分ほどのところにあります。

古い建物を使用したギャラリーには、絵画や写真などを展示しています。

ひと昔前の日本にタイムスリップしたかのような空間に身を置くと、懐かしい気持ちとともに心が癒されていきます。


歴史を感じる自転車は、現役?
関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

参考になった本シルバーエイジの健康読本もどうぞ