時代祭2013

京都府
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今年も時代祭を見に行ったが今年は行在所祭の儀式を撮りたい、ということで建礼門に一番近い最前列に陣取って祭礼の進行を記録した。

この男性、すごい装備です。
どでかいズームに、腰の廻りには交換レンズがスラリ。
中国系のようだったが、重量どれくらいあるの?と聞いたら25㎏とのこと、まさに驚きだ

行在所祭には、平安時代中頃から御所に花を届けていたともいわれている白川女も参列します。

参列者一同にお祓いです。

時代祭は神事なのです。
桓武天皇と孝明天皇が御祭神です

2基の御鳳輦(ほうれん)に御霊代をお遷しし、9時に平安神宮を出発、10時頃に御所の建礼門前に設置された行在所(あんざいしょ)に到着します。

行在所祭では神饌(しんせん)講社より神饌が献じられ、白川女の献花奉仕が行なわれます。

左の御鳳輦に孝明天皇の右の御鳳輦に桓武天皇の御霊代がお遷しされている。

白川女の献花奉仕です、代表が進み出て献花します。

比叡山を源に発する白川の流域に住み、季節の花を売り歩くのを業とする女性が白川女で、その歴史は古く、平安時代中頃から御所に花を届けていたともいわれている。
本列は伝統的な白川女姿で、神前に供える花を頭にのせている。

行列の発進に先立ち平安騎馬隊の騎馬が発進します。
平安騎馬隊は、京都府警察の騎馬隊で、1994年に平安京遷都1200年を記念して創設された。

そのあと、維新勤王隊 鼓笛隊のデモンストレーションです。
維新勤王隊は明治維新の際、丹波の国北桑田郡山国村(現:京都市右京区京北)の有志が山国隊を組織し、官軍に参加した当時の行装を模したものです。

総奉行の発進の合図とともにいよいよ時代祭行列の始まりです。
総奉行は平安講社理事長がつとめます。

時代祭は神宮創建を祝って始められたものであり、京都三大祭りの一つであるものの、葵祭や祇園祭に比べると歴史は浅い。

神宮の管理と保存のための市民組織として平安講社が作られ、その記念事業として「祭り」が始められた。

坂本竜馬が観客の要望に応え、懐からピストルを・・・やんやの喝さいを浴びていた。

徳川城使上洛列では本来城使は駕籠に乗っているが、時代祭では騎馬です。

玉瀾
画家池大雅の妻。
画人としても知られ、和歌にも秀でた女性でした。

後ほど出てくる祇園梶子の孫です。
梶子、百合、玉瀾の三人で祇園三女として知られた。

大田垣蓮月
江戸時代後期の尼僧・歌人・陶芸家。
俗名は誠(のぶ)。
菩薩尼、陰徳尼とも称した。
ここでは若きの面影を偲ぶお姿です。

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太田垣蓮月隠棲の地神光院
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祇園梶子
梶子は京都祇園の八坂神社近くで茶店を営む店主であった。
幼少の頃より、草子や歌物語を好み、特別な師を持たなかったが、歌才に恵まれ、公家の冷泉為村から和歌を贈られるほどであった。

梶子は生涯独身であったが、百合という養女を貰い、茶店を継がした。
百合も養母梶子と同じく歌才に恵まれ、歌集『佐遊李葉』を残している。

百合は旗本徳山氏との間に一女町をもうけており、この町が後に池大雅と結婚し自らも画家として知られる玉蘭である。
梶子、百合、町の三人で祇園三女として知られた。

出雲阿国
阿国は1603(慶長8)年に北野天満宮(上京区)で、当時「傾(かぶ)き者」と呼ばれた男性の派手な衣装を身に付け、歌舞伎踊りの興行を始めたとされる。

昨年まで笠(かさ)をかぶった巫女(みこ)姿だったが、60年前に行列に登場して以来初めてデザインを一新。

慶長年間に描かれた「歌舞伎図巻(ずかん)」を基に、舞台衣装をまとった阿国の姿をそのまま再現した。

新しい衣装は、タンポポの葉と扇を散らした小袖に、牡丹(ぼたん)唐草を描いた胴衣(どうい)を重ねた豪華な仕上がり。
首から下げる金襴(きんらん)の掛守(かけまもり)や、金箔(きんぱく)を施したヒョウタン、朱色の柄の太刀など、きらびやかな装飾品が華を添える。

費用は450万円とか。

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太平記で有名な作楽神社

16世紀京の町衆によって盛んに催された「風流踊り」を再現しています。
風流傘を中心に、子役による囃子方で構成する「中踊り」と、小袖姿で踊る「側踊り」からなっています。

当時の風流踊りは男性のみで、奇抜な仮装や妻女の派手な衣裳で着飾って参加しています。
この風流踊りは全国各地に伝わり様々な芸能を生み出し、江戸時代以降の盆踊りの原型ともなっています。

洛北大原の婦人は、頭に薪や炭を載せて京の町へ行商に出ていました

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新春花街舞初め特別講演2013
初春の大原の里で大原女時代行列

藤原為家の室
安嘉門院に仕え、出仕中10代で初恋の失恋の失意から出家を決意し尼となったが、その後も世俗との関わりを持ち続けた。
30歳頃藤原為家の側室となり、冷泉為相らを産む。

為家の没後、播磨国細川荘(現兵庫県三木市)の相続をめぐり、正妻の子二条為氏と争い、1279年(弘安2年)幕府に訴えるため鎌倉へ下った。
このときの紀行と鎌倉滞在のことを記したのが『十六夜日記』である。

懐には訴状が。

横笛
建礼門院の雑仕。
滝口時頼と恋に落ちましたが、時頼が出家すると、その後を追って尼になりました。
ここでは、出家した時頼を尋ね嵯峨に行ったときの市女笠に袿姿を現しています。

常磐御前
源義朝の側室であり、牛若(源義経)の母。
ここでは、義朝の没後、牛若ら3人の子を連れ六波羅に向かう時の様子を現しています。

軍記物語の『平治物語』『平家物語』などによれば、平清盛に請われて妾となり、一女(廊御方)を産んだとされるが、史実としては確認されていない。

和気広虫
和気清麻呂の姉。
藤野別広虫女とも称される。

慈悲心が深く、多くの孤児の養育に励んだことが伝えられています。
ここでは、還俗した時の姿で、扇を持った姿です。
男女の弧児2名ずつを従えています。

延暦武官行進列、お馬さん少しご機嫌斜めです。

孝明天皇の御鳳輦の発進。

御賢木を先頭に、ご鳳輦が続き、宮司以下神職が前後につき従ってご神幸されます。
先のご鳳輦は孝明天皇、後のご鳳輦は桓武天皇が祀っており、京都の市内をご巡幸になります。

時代祭の中で主たる意義を持つ列です。
ご鳳輦の御剣、弓や楯、矛、紫御翳(むらさきのおんさしは)、管御翳、神馬用馬具が見られます。

桓武天皇の御鳳輦の発進。

総長が続きます。

列奉行が続き。

神前に供える花を頭にのせ白川女が続きます。

牛や馬を含む総勢約2000名が約2kmもの長さで約3時間かけて平安神宮に向かいます。