日本三大八幡宮の一つ宇佐神宮

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全国に約44,000社ある八幡宮の総本社。
石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つ。

古くは八幡宇佐宮または八幡大菩薩宇佐宮などと呼ばれた。
また神仏分離以前は神宮寺の弥勒寺(後述)と一体のものとして、正式には宇佐八幡宮弥勒寺と称していた。

現在でも通称として宇佐八幡とも呼ばれる。

黒男神社、御祭神は武内宿禰命>

武内宿禰は、景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇と、 五代の天皇に二百四十余年もの間大臣として仕えたと言われる伝説の人。

八幡大神にご奉仕された神であり、古くから大鳥居の外に鎮座になって大神をお護りされています、と、説明にあった。

武内宿禰は蘇我氏の祖ともいわれ、また、神功皇后と住吉大神の怪しい関係についての伝承もあり、古代の何かを物語る伝承だろう。

呉橋(くれはし)、西参道途中、屋根のついた神橋。

鎌倉時代以前からあるとされ、呉の国の人が掛けたという伝承がある。
県指定文化財。

かつてここにあった鳥居は鉄製の「鉄鳥居(かねとりい)」だったという。
戦時中、金属類回収令により供出され、現在はその沓石(基礎石)だけが残る。

宇佐神宮関係の史料によれば、725年に八幡神を現在の小椋山に移したとき、 東方の日足の地に弥勒禅院を建てたことが記されています。

また、738年に金堂・講堂を建立しており、このころ着手して奈良時代に完成したものと考えれている。

西参道の南側に寺跡の中心遺構が保存されています。

苔むした石灯篭に目を奪われながら歩く、広くまっすぐな参道。
その突き当りに「祓所(はらえど)」と呼ばれる空間がある。

ここはその名の通り、祭祀の際に神職の方々が穢れを祓ったり、参拝者が禊(みそぎ)を行ってきた場所なのでしょう。

祓所の先にある分かれ道。
鳥居が二つ並んでおり、左が「上宮」への鳥居、右が「下宮」への鳥居となる。

まず、下宮(御炊宮(みやけみや) )へ参拝。

弘仁年間(810年 – 824年)、嵯峨天皇の勅願により創建。
上宮からの分祀で、祭神は上宮と同じ3柱。

参拝路の途中、池には「河骨 (こうほね)」が咲いている、雨に打たれ風情のあること。

能楽堂を訪れ、上宮本殿へ向かう。

宇佐神宮の奥宮は、大元神社(おおもとじんじゃ)で、宇佐神宮の元宮。
しかし、大元神社は宇佐市の御許山(おもとさん・標高647m)の9合目に位置しています。

なかなか参拝するのが簡単ではないことから、宇佐神宮の境内に このような遥拝所が設けられている。

上宮本殿 (一之御殿、国宝)、様式は「八幡造」といわれ、2棟の切妻造平入の建物が前後につながった形をとる。

一之御殿は万延元年(1860年)、二之御殿は安政6年(1859年)、三之御殿は文久元年(1861年)の建立で、いずれも国宝。

この機関車は明治24年(1891年)にドイツ・ミュンヘンクラウス社が製造 明治27年に九州鉄道(国鉄の前進)が購入し活躍していましたが 昭和27年機関車の大型化に圧され大分交通に譲渡の後 宇佐参宮線の主役となる。

その後昭和40年8月に廃止された。

今も語り継がれる説話を二つ。

悪僧の代名詞・道鏡

悪名高き怪僧道鏡は、女帝孝謙天皇(後に重祚(ちょうそ,再度天皇に即位すること)して称徳天皇となる)に取り入って、情を交わし、宇佐八幡の託宣があったとして天皇の座を狙う。

しかし、和気清麻呂が、道鏡を天皇にせよとの宇佐八幡の信託は偽ものであり、宇佐八幡からは「未だ臣は、君にはならず」との託宣があったとして道鏡の失脚を画策する。(769年)
 
その後、和気清麻呂は、孝謙天皇・道鏡により左遷、改名させられた後、大隅国に流される。

しかし、しばらくして白壁王(後の光仁天皇)の時代になって召し返され,それとともに道鏡は失脚、流罪となる、

神功皇后と住吉大神の怪しい関係について

若宮八幡宮は武勇の神様で祭神は誉田別尊 (ほんだわけのみこと:応神天皇)と武内宿禰 (たけしうちのすくね) だが第四本宮の祭神は応神天皇の母神功皇后だ。
日本書紀によれば、神宮皇后は夫の第十四代仲哀天皇とともに九州に赴いたという。

それは、南部九州の熊襲が反旗を翻したからだというのだが、途中神託が下りて、熊襲を討つのではなく、新羅を討てと命じられる。
天皇はこの神託を無視し、熊襲を討ってしまったために、変死する。

日本書紀は、これは天皇が神の言葉を聞かなかったからだという。
奇怪極まりないのは、仲哀天皇が亡くなった晩、神功皇后と住吉大神は、夫婦の秘め事を行っていたという住吉大社の伝承だろう。

神と神功皇后が、なぜここで男女の仲にならなければならなかったのか。
さらに問題なのは、住吉大神≒塩土老翁が、竹内宿祢と接点を持っていることで。

竹内宿祢といえば、神功皇后の忠臣でつねにそば近くに侍っていたし、古事記に従えば、仲哀天皇が亡くなられた晩、登場人物は天皇と皇后、そして竹内宿祢だけだから、住吉大社の伝承は、意味深である。

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宇佐神宮へのアクセス、行き方歩き方

大分県宇佐市南宇佐2859
0978-37-0001

日豊本線「宇佐駅」から「中津行」・「四日市行」の大分交通バス約9分「宇佐八幡」~徒歩10分