小田原の西の防衛を担う最重要拠点 山中城

日本100名城
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日本100名城の一つ。
北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。
箱根十城のひとつ。
永禄年間(1558年 – 1570年)に北条氏康により築城。
北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で造られていた。

北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、山中城は改修し防備を固めることになるが、結局間に合わず未完成のまま豊臣軍を迎える。
1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣秀次率いる7万の軍勢が山中城を攻撃、守将である北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊ら4千は奮戦し、豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出すものの、猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城し、北条方の松田・間宮などの武将や城兵の多くが討死した

昨夜の泊りは沼津。
日の出を拝んで、やっと晴れるかと安堵。

ここ沼津リバーサイドホテルの前に三枚橋城(さんまいばしじょう)外堀跡の碑がある。
三枚橋城(さんまいばしじょう)は、天正7年(1579年)武田勝頼により築城された。

永禄12年(1569年)、甲斐武田氏と相模北条氏との甲相同盟が破綻し、駿河・伊豆国境付近が緊張した際に北条氏により砦が築かれていたが、その跡地に建設された。

ホテルの後ろには稲荷がある、武田勝頼が三枚橋城築城の折、城内に祭ったのが起源。
「あげつちのおいなりさん」として親しまれている。

駐車場から北条橋を渡ると箱根旧街道の石畳。
両脇の杉林からのわずかな木漏れ日が、旧街道の雰囲気を醸し出しています。
延宝8年(1680)に初めて石畳が敷かれ、文久2年(1862)に大改修された。

朝から霧が深く視界は良くない。
山中城の堀には、土橋が多く構築され、現在も残っているが、重要な曲輪には木製の橋も架けられていた。

木製の橋は土橋と較べて簡単に破壊できるので、戦いの状況によって破壊して、敵兵が堀を渡れなくすることも可能であり、曲輪の防衛には有利である。

天守櫓跡
標高586m、天守櫓の名にふさわしく、山中城第一の高地に位置している。
天守は独自の基壇の上に建てられており、この基壇を天守台という。

基壇は一辺7.5mのほぼ方形となり、盛土によって50~70cmの高さに構築され、その四周には、幅の狭い帯曲輪のような通路が一段低く設けられている。
天守台には、井楼、高櫓が建てられていたものと推定されるが、櫓の柱穴は植樹により撹乱されていたため、発掘調査では確認できなかった。

近年、あちこちの城で堀の中の畝が発見されており、堀に畝を配置するのは北条の専売特許ではないことが知られるようになってきているが、これほどまでに畝を多用しているのはやはり北条流と言ってもいいかと思う。

二ノ丸は東西に延びる尾根を切って構築された山中城最大の曲輪。
本丸が狭いのでその機能を分担したものと思われる曲輪。

元西櫓側から見た架橋と二ノ丸虎口。
二ノ丸と元西櫓の間の堀には、橋脚台が掘り残されており、四隅に橋脚を立てた柱穴が検出された。

橋脚の幅は南北4.3m、東西1.7mで、柱の直径は20~30cmであった。
復元した橋は遺構を保護するため、盛土して本来の位置より高く架けられている。

ここは溜池(貯水地)の跡。
山田川の支流の谷がここまで延びてきていたものを盛土によって仕切り、人工土手を作って深い堀としたものである。

この溜池へ本丸・北ノ丸等の堀水が集まり、また広大な西ノ丸の自然傾斜による排水も、元西櫓の排水も流入するしくみである。
深さ4m以上発掘したが、池底には達しなかった。
山城の生命は、水の確保にあるといわれるが、貯水への異常な努力をうかがうことができる。

戦国期の山城では畝堀が重要な役目を果たす。
城攻めの兵は身を隠せる畝の堀底を登ってくるので、城兵は敵の来る場所が限定され弓・鉄砲で集中攻撃が出来て全国の山城では一般的な防御方法。

急斜面の畝堀では大石を転がして敵を圧死させた。
障子堀は薬研堀が斜面地に掘られたもので、さらに城塀にたどり着ける畦を多数残し二重三重に掘った状態が障子桟に見えるので「障子掘」と云われる。

箱井戸は山中城将兵の飲料水。田尻の池は馬用の飲み水として使われたと考えられている。

岱崎(だいさき)出丸、山中城の南西に造られたこの出丸は、標高547~557m、面積20,400㎡におよぶ広大な曲輪(くるわ)です。

天正17年(1588)、豊臣秀吉の小田原征伐に備え急ぎ増築されたのですが間に合わず、一部未完成部分を残しています。

山中城宗閑寺墓所には山中城攻城戦での戦死した、北条軍(山中城主の松田康長、副将の間宮康俊兄弟、上野箕輪城主の多米長定)、豊臣軍(一柳直末)の墓石が並んでうらみを忘れたかのように現在も佇んでいます。

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山中城へのアクセス、行き方歩き方

三島市観光協会
静岡県三島市一番町17-1
TEL 055-971-5000
沼津登山東海バス/JR三島駅 (5)番より元箱根行き「山中城跡」下車、徒歩1分
なお、「山中城まつり」の際にはシャトルバスが運行される。
国道1号沿いにあり、三島駅から東海道を徒歩で3時間程度歩いても到着する。