天然記念物モリアオガエルにも会える 広島の名勝・吉水園

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2番目の訪問地は広島の名勝・吉水園です。
吉水園は、天然記念物のモリアオガエルが産卵する時期(6月上旬)と、モミジの紅葉が美しい秋(11月中旬)に、一般公開されます。

吉水園は江戸時代半ばの天明元年(1781)の春、加計隅屋16代当主の佐々木八右衛門正任が、この辺りの景観と地形に着目し、山荘として建設を思い立ったものです。
(現在、加計隅屋24代当主の加計正弘氏所有)

明治39年(1906)、作家の鈴木三重吉は同じ夏目漱石門下であった親友の加計正文(隅屋22代)を訪れ、初秋の日々をほぼ1週間吉水亭に滞在、ここで得た題材を構想して、名作「山彦」を書きました。

その書出しには、「城下見にゆこ十三里、炭積んで行こ十三里、と小唄に謡うという十三里を、城下の泊りからとぼとぼと、三里は雨に濡れてきた。」とあります。
なお、園入口に文学碑があります。

吉水園は、廻遊式の庭園ですが、あきらかに吉水亭からの遠望を意図しており、薬師堂の森を右にして、前方はるかに太田川と山並みを見渡す中二階(高間)からの眺望(借景)は、本園観賞のポイントとなっています。

古記録によって建設の概要をみると、まず庭園拵えは同年9月17日から40日間を費やし、ついで翌天明2年8月には園池を前に入母屋造茅葺の吉水亭が落成した。

同年12月には、たたらの神様金屋子社も建立。
隅屋は江戸期を通じて中国地方でも最大手のたたら鉄山師であり、その繁栄祈願のため出雲国比田から勧請した。

今上の段に琴平社、稲荷社とともに一宇に覆われている。
なお金屋子神社境内には加計隅屋500年祭の碑がある。

また、亭内には「吉水亭」(永平寺竹広大禅師筆)をはじめ「遊戯海」(荻生徂徠筆)、「敲月」(厚宅筆)の額が掲げられており、雨戸上部の欄間には菊水・水車・水仙の透彫、物入の細長い扉には紅葉狩の大和絵を見ることができる。

「遊戯海」(荻生徂徠筆)

「吉水亭」(永平寺竹広大禅師筆)

奉納された和銑

園内に金屋子(かなやご)神社が勧請(かんじょう)されていることも鉄山経営者の庭らしい。

500年祭碑

松林庵薬師堂
文化4年(1807)には広島藩主浅野斉賢が従者400人を率いて来園、庭内を遊歩し、文久元年(1861)には同藩主浅野長訓が高間にて休憩し、鳥居前から松林庵薬師堂を経て庭内を廻遊した。

入り口付近にある山口誓子の句碑。
藻の畳もりあをがへる落ちてよし

吉水園の吉水亭は「楓山荘」ともいわれており、作家、鈴木三重吉の作品「山彦」の中では「満庭すべて楓の古木ばかりである」と表現されている。
秋の開園は江戸時代からのモミジの紅葉が見事。

吉水園の観光の跡は、「加計」街ぐるみ博物館を見学。

町並みをそのまま博物館に見立て、加計地区の歴史や文化を紹介するストリートギャラリーにという目論見のようだが、ただ閑散としているだけで何が発信したいのか不明。
案内板も見当たらない。

タイ焼き屋の前に並ぶツアー参加者。

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吉水園へのアクセス、行き方歩き方

吉水園公式サイト

所在地:山県郡安芸太田町 加計西旭町
年間で春と秋に一般公開
公開時期の問い合わせは,安芸太田町教育委員会(08262-2-1212)