備中松山城 日本一高所にある山城

高梁の街を見下ろす「臥牛山」(標高480m)の尾根沿い、「小松山」(標高430m)の山頂にあるのが「備中松山城」。
臥牛山といわれる小松山の山上にある。
天守閣や二重櫓、一部の土塀が現存していて、これらは国の重要文化財に指定され、日本で現存天守を持つ最も高い山城として有名である。

現在の天守は、江戸時代の水谷氏によるものである。
しかし、三代の勝美が若くして急逝、跡継ぎがなかったため水谷氏は改易となっている。元禄6年(1693)水谷氏断絶後、播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩が城の受け取りにあたり、城代家老大石内蔵助良雄は一年近く在番として備中松山城にとどまっている。

高梁観光百選、大久保峠より望む高梁市街。
左が<南、総社・倉敷方面>、右が<北、新見方面>。

高梁市ふいご峠にある清水比庵歌碑
水清き川
のながれて
山高し日
は山を出で
川をわたるも

   八十六叟
    清水比庵
ふいご峠
天和元年(1681年)水谷克宗が天守閣の建築にかかった際、宝剣三振をココで打たせたことからこう呼ばれるようになった。


登城道入り口(標高290m地点)にある松山城案内図。
土・日・祝日は山麓近くの城見橋公園(駐車場)からシャトルバス利用で鞴峠まで来る。
ここから天守閣まで、徒歩で直登すると約20 分。

大手門跡で城主よりの挨拶に迎えられる。

石垣崩落の危険性
大手門跡の後方にそそり立つ巨岩と、その上に載る厩曲輪石垣は圧巻である。
しかしながら、巨岩の割れ目に貫入した樹木の成長により、割れ目が次第に大きくなっている。
更に巨岩の上に載る石垣の重みで岩のズレを生じている。

これらの影響で上部の石垣が変形しつつあり、将来崩落する危険を孕んでいる。
このため、平成11年(1999年)より高梁市教育委員会は京都大学防災研究所と共同で、岩盤斜面にペルー・マチュ・ピチュ遺跡などで地滑りの観測をしているのと同様の不安定岩盤斜面監視システムを設置し、調査・観測している。

大手門跡
石垣上に、間口10間×奥行2間の櫓門が存在したといわれている。
内枡形構造になっており、石段手前右側には、犬走り口と呼ばれる、表門(大手門)下から本丸裏手の搦手門へ迂回する横道の狭道の虎口(出入口)がある。

大手門内枡形(足軽番所跡直下)から見た、天然の岩盤の上に築かれた高石垣。
敵の侵入に備えて峻険に聳え、通路は折れ曲がっている。
この堅固さは圧巻!
ただただ、感動もの。

大手櫓跡と南端面(内側)の現存(手前の一部)と復元(奥の部分)された土塀。

二の平櫓跡付近から天守台方面を望む。

三の丸跡と石垣群。

三の丸・厩曲輪から二の丸南面鉄門跡のほぼ中間、南西隅部にあたる黒門跡(仕切門)石段。

二の丸櫓門跡からの本丸天主が覗いている。

与謝野寛(鉄幹)の歌碑。
『松山の渓を埋むるあさ霧にわが立つ城の四方しろくなる』

本丸南面の建物群と復元土塀。
このアングルからの眺めは一枚の絵葉書のよう。
左から、六の平櫓・五の平櫓・天守閣。

城の始まりは鎌倉時代の仁治元年(1240年)有漢郷の地頭・秋庭三郎重信が大松山に砦を築いたことによると伝えられる。
今に残る城郭は江戸時代の天和3年(1683年)時の城主水谷勝宗が小松山に(標高430m)築いたもので、現存する日本の城の中で最も高い所にあり、山上の天険を利用した近世式の城郭として全国に名高い。

備中松山城は、江戸時代にめまぐるしく城主が交代した事で知られているが、これは、後継者がいないためのお家断絶や転封によるものだが、これ以前の戦国期にも、城主がいくたびも代わっている。
それは、この城が備中制覇のために重要な意味を持っていたからである。

山陰と山陽を結ぶ伯備往来の中ほどに位置する高梁は、東西の主要街道も交差する。
この城が歴史上もっとも有名になるのは戦国時代である。
この要衝の地をめぐって、山陰の尼子氏、安芸の毛利氏が背後にからみ、地元の有力地侍三村氏、庄氏、宇喜多氏が激しい争奪戦を繰り広げる。

元禄七年(1694年)に水谷氏が無嗣除封となった際、受城使には大石内蔵助良雄がなったと伝わる。
その後、安藤氏、石川氏と藩主が替わり、延享元年(1744年)に板倉勝澄が入り、以後、板倉氏が七代明治維新まで続いた。

雪隠(トイレ)二の丸南西角近く。

本丸 東御門 (平成9年復元)
本丸東面ほぼ中央に位置し、本丸下の腰曲輪から見上げる。

埋門形式の搦手門跡
石段を上がったところは、水の手門脇曲輪。
この先を下がると、中世山城の大松山城址へ通じる。
左は【二重櫓】(国指定重要文化財)。

本丸北面の腕木御門 (平成9年復元) 水の手門脇曲輪より見上げる。

九の平櫓跡、後曲輪跡、十の平櫓跡、番所跡、二重櫓の北側で、小松山城郭域の最北端部。

【二重櫓】(国指定重要文化財)
天守同様、天然の巨石を櫓台とした二層二階建ての構造。
南北2つの出入口は北は後曲輪に南は天守裏に通じている。

天守閣 南面
南面に設けられた唐破風の出窓が特徴的で、東面には入母屋造りの突出部が付き、外壁下部は下見板張り、また、初層・二層に出格子窓とその屋根を付けて、小規模ながら複雑な外観意匠としている。
複雑な外観と、岩盤上に築かれた高さが、二重天守という規模の小ささを補って余りあるものとしている。
現在、地階部分の左側が観光用出入口になっているが、この東面に突出した部分は廊下の一部であり、右の画像の石段を上がった所に、かつては、八の平櫓があり、渡櫓(廊下)で現在の出入口に連結され、本来の入口は八の平櫓からであった。

大手口の南御門(平成9年復元)から本丸内に入る。

「囲炉裏」は石造りで籠城の際、城主の食事、暖房に使われた。
戦国時代には戦や身内の裏切りに備えて城主は常時、山頂のこの天守閣内で起居していた名残だ。

武者窓(連子窓)から差し込む光。
中からは見えるけど、外からは見えにくい構造になっている。

高梁市は、高梁川が中央部を南北に貫流し、その両側に吉備高原が東西に広がる人口3万8千余のそう大きくない市。
備中松山城天守より望む高梁市街。

登城心得『本日の登城、大儀であった』

まもなく端午の節句、松山城への道端ではこいのぼりが泳ぐ。
おしろ祭りに備えてのぼりやらが並ぶ。

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松山城へのアクセス、行き方歩き方

住所:〒716-0004岡山県高梁市内山下1
電車・バスでのアクセス方法
備中高梁駅からバスに乗車して、バス停「松山城登山口」で下車、そこから徒歩で備中松山城に向かうというのが一般的なルート。
バスの所要時間は10分、徒歩は20分程度。
城の位置が山頂近くにあるということもあり、徒歩の所要時間が長くなってしまうのはやむを得ないだろう。
岡山駅から備中高梁駅までは、JR伯備線で50分ほど。

なお、土日・祝日に限り一部のルートでシャトルバスの運行もある。
車で備中松山城にアクセスする場合は、岡山自動車道の賀陽I.Cをおりて25分ほどで到着。
備中松山城の専用駐車場はないが、登山口の周辺にある「ふいご峠駐車場」や「城見橋公園駐車場」といった有料の駐車場の利用が可能。
土日・祝日のシャトルバスの運行じには「ふいご峠駐車場」は乗り入れ禁止。

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