『海色の歴史回廊』呉をゆく

広島県呉(くれ)市といえば、やっぱ造船のまち。駅前でスクリューが出迎えてくれます。
港町くれの玄関口、真っ先に目に飛び込んでくるのが、巨大なスクリュー、潜水艦等々。
海と船と平和をテーマにしたべエリアを潮風に吹かれながら散策するだけで旅情たっぷり。

「海色の歴史回廊くれ」そんなキャッチフレーズがぴったりの町だ。
戦国時代に瀬戸内海を掌握していた村上水軍の拠点でもあった呉は、明治維新後の近代は帝国海軍、戦後は海上自衛隊の拠点として栄えた都市。

また第二次世界大戦中は、呉海軍工廠で「戦艦大和」などが建造され、現在に通じる造船技術、特殊鋼応用技術の発展の地でもある。

戦艦「陸奥」の主錨

進水したばかりのコンテナ船「ヒューストン・ブリッジ」、その右「ヘルシンキ・ブリッジ」

潜水調査船「しんかい」

水中翼船「きんせい」

多くの海上自衛隊艦が停泊している

戦艦「大和」の前甲板の左半分を実寸大で表現した公園

大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)に展示されている戦艦「大和」の船首部分。

戦艦「大和」を3Fフロアから俯瞰したところ

戦艦「大和」の大きさ比較表

電気推進機関搭載の、本土決戦用人間魚雷「回天」10型 試作型
試作のみで使われることはなかった。

ハッチ後ろの長く突き出した部分、艇体のくびれ等、旧タイプの回天とは形がかなり違っている。

零式艦上戦闘機62型
展示の機体は愛知県明治基地、第210海軍航空隊の所属で、1945年(昭和20年)8月6日夕刻、吾妻常夫中尉の操縦で飛行中にエンジントラブルを起こし琵琶湖に不時着したと言うもの。

説明ボードによれば中島飛行機で製造された機体で製造番号は82729となっている

「海龍」は世界初の有翼潜水艇。
水中を飛行機のように自由に潜航、浮上することを目指して開発されたもので、操縦装置も飛行機と同じ物を使用していた。

大和ミュージアム展示の「海龍」は、昭和20年、静岡県で艇尾部に米軍航空機のロケット弾の直撃をうけて沈没し、昭和53年に引き揚げられたもの。
本土決戦に備え開発されましたが、特攻兵器として実戦で使用される事はなかった。

潜水艦展望テラスよりの実物潜水艦「あきしお」
平成16年3月まで現役勤務をしていた潜水艦。

長さ:76.2m(ジャンボジェット機並み)
高さ:16.3m(5階建ての高さに匹敵)
重さ:2.250トン

ペルシャ湾で掃討した機雷
実物の潜水艦「あきしお」を陸揚げして展示する日本初の施設。
艦内を一般公開するほか、海上自衛隊の歴史や掃海艇の活躍なども紹介している。

発令所
潜水艦の頭脳、艦長はここで指揮する。

操舵席
外が見えないため、操舵員は計器だけを頼りに艦を三次元移動させる。

潜望鏡

推進器(プロペラ)低音化は各国の技術の粋が注がれている。

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